今回の日本出張は、社会にでる前の息子と過ごす最後のひと時ということでプライベートの濃い時間を色々持ちかつ新しい出会いに感謝する旅でした。 息子に日本の歴史文化の理解の体験する機会を一緒にと思い、実行したなかのひとつが、靖国神社参拝。 九段下から鳥居をくぐり、迎えてくれるたのは、故郷防府の隣、鋳銭司村出身の大村益次郎の銅像。 まずは、身を清めて本殿を参拝し、多くの戦没者の方々の魂が安らかにという願いと今ある平和への感謝。 先の大戦では軍人だけでなく、学徒動員の学生や日本国籍でなかった方々も祀ってあります。そして、隣にある「遊就館」へ足を運びました。館内に入る前に外に建立されているパール判事の石碑の前で息子に自分の知っている歴史を語り、中国、韓国以外のアジア諸国の意見や声にも日本は耳を傾ける大切さも話しました。 ここで出迎えてくれたのは、零戦52型丙。小学生のころ、プラモデルといえば、何故か他には目もくれず、いつも作っていたのが零戦でした。それもこの52型丙ばかり。何だったのか? 日本刀展示から今回目的のひとつでもある大戦記録の展示の数々の見学と館内を巡りました。 太平洋戦争後70周年にあたる今年の特別展示として、戦争で亡くなられた軍人を持つ、妻、子供、孫や兄弟姉妹からその亡くなられた夫、父親、お祖父ちゃんや兄・弟宛の手紙の数々がありました。 亡くなられた方々の遺書などにもとても感慨深いものがありますが、それと同じように残された方々の言葉にも深く考えさせられるものがありました。 戦争で亡くなられた方々がちょうど20歳そこそこの若者が多く、同じ年齢の息子は、何か感じ考えることのきっかけになったようです。今回は時間が十分なかったので、再びゆっくりと遊就館を訪問することを息子とも話しました。 戦犯を祀ってある神社を政府高官が参拝するのはおかしいというのが中国、韓国の主張なのでしょう。果たしてそうでしょうか? 東京裁判自体の在り方はどうだったのか?パール判事の言われるとおり、国際法に基づかず、戦勝国の一方的な敗戦国虐めともとれる裁判とはいえないもの。つまり、戦犯として死刑になるほどのことだったのか? (まだ勉強不足です。)戦争になるように追い詰めた国々の道義的責任は、勝てば官軍で問われないままで終わっています。 「靖国で会おう」と国、故郷や家族のために散っていかれた方々に感謝して何が悪いのか? 純粋に「戦争」という悲惨な愚かな過ちはしないことを日本人が先達に感謝し、誓いを新たにする場所が、日本人にとっての靖国神社でもあるように感じました。 他国から参拝の有無についてとやかく言われる筋合いではないと思うのは過激な考えでしょうか? 改めて「魂の品格」を感じざるを得ません。
投稿日 2015-03-02 18:54
ワオ!と言っているユーザー
投稿日 2015-03-03 02:11
ワオ!と言っているユーザー