武道の「武」の字は、二つの戈(ほこ)を止のるとう語源であると言われてきました。
武は争いを起こさないためにも、武道は自己確立と自他共楽(共栄ともいいます)を求めます。
自己確立では自分自身がまず拠り所とならなければなりません。自己を確立するためには自ら学び続け、自分を磨いていくことが求められます。コーチングピラミッドにおける自己基盤の確立と同じくですね。
そして自他共楽は、自分だけでなく相手のことを考えて行動できるようになることです。コーチングマインドを持ってクライアントに接するのと同じです。
自己確立と自他共楽が平和な社会を作るために必要なことです。
話は戻りますが、「武」の文字の語源は二つの戈を止めると言われてきましたが、最近その語源が異なっていると示されました。
「戈を背負って前へ」という意味であり、戦う覚悟を決めることが語源だったようです。
とはいえ、今の武道団体は、最初の語源とおりむやみに戦いを好むのではなく、争いを起こさないために自分自身を磨くことと相手を思いやる心を持つことに変わりなく、これからも修行を続けていくと思います。
武道とコーチングは似たところがありますね。
今日は私が運営する少林寺拳法の修練日でした。様々な年代の拳士が所属しています。今日はお盆休みで参座する拳士が少なかったため、一度に全員が集まって修練しました。有段者は級拳士や子どもの指導を積極的にしてくれていました👍
この写真とても微笑ましく、ほんわかします🤭
私たちの少林寺拳法の目的は人づくりによる社会づくりが目的です。教育という言葉もよく出てきます。
しかし、教育・指導・育成、この3つの言葉を混在しながら使用していることがあり、その言葉の意味をここに記載します。
「指導」は、漢字のとおり「ある目的や方向を指し示しながら教え導くこと」という意味の言葉です。ある分野の知識や技術の向上といった特定の目的に向け、誰かを教えたり導いたりすることを言います。少林寺拳法の主な指導は技術を教えることにありますね。
「指導」の場合、「コツやポイントなどを効率よく教えて能力を伸ばす」ことが目的となり、比較的短期で達成することが目的となります。
「教育」は、文字通り「教え育てること」という意味の言葉です。人に知識や技術などを授けたり、精神的にも成長させてより良い人間にすることなどを言います。とすると、なかなか短期では成し遂げられません。ある程度長い時間をかけ、指導を続けて育てていくこととなります。
「育成」とは、「育て上げること」という意味の言葉です。「育成」の「成」という字は「できあがる」「しあがる」などを意味しますので、特定の分野で育て上げることとなります。「育成」はある程度の手本を見せながらも、相手の自主性に任せるというスタンスを取るのが一般的です。
この3つの言葉の意味をしっかりと理解しながら、普段の指導にあたらないといけませんね😅
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