AZTスペシャルインタビューVol.04 児童文学作家・翻訳家 まだらめ三保さん【前編】
4月
19日

児童文学作家・翻訳家
大人気作ナンセンスファンタジーの
「おひめさまシリーズ」の著作や、
『きかんしゃトーマス』の翻訳で知られる。
現在は、アメリカ人の夫とともに、
アリゾナ州スコッツデールと
カリフォルニア州サンディエゴの
2拠点で暮らしながら、
日々の出来事を詩に綴るなどして
執筆活動を続けている。

にこにこ元気なおひめさまと、
なかよしのねこのサムが、
つぎつぎと楽しい事件にであう
ユーモアあふれる物語。
1980年後半から2000年代前半にかけ、
全26巻の作品が刊行された。

『きかんしゃトーマス』。
その人気に火をつけたアニメシリーズの
最初の翻訳を手掛けたのが、
まだらめさんである。
1980年代後半〜2000年代を中心に多くの作品を世に出した、児童文学作家であり翻訳家でもある、まだらめ三保さん。現在、アリゾナ州のスコッツデールにお住まいであることを知り、アリゾナタウンでお話を伺うことに。4月には自身初の詩集『もくようびがにげだした』を上梓し、今なお変わらず執筆活動を続けていらっしゃいます。
まだらめさんの幼少期、作家になったきっかけ、アリゾナ州へ移住された経緯、そして詩集について伺ったインタビューを、前後編の2回に分けてお届けします。
― まだらめさんは、幼い頃はどのようなお子さんでしたか? やはり本を読むことや物語を創作することがお好きだったのでしょうか。
そうですね、やはり小さい頃から本を読むのが好きな、いわゆる“文学少女”であったと思います。通っていた小学校の図書室がとても充実していたので、そこでシェイクスピアの作品をはじめとする海外文学をたくさん借りて読んでいました。さらに、両親も講談社の『少年少女世界文学全集』を購入してくれるなど、子どもの時分からたくさんのいい作品にふれる機会に恵まれていましたね。そうした環境の中で海外文学への興味がどんどん深まり、小学生でサマセット・モームの『月と六ペンス』やエミリー・ブロンテの『嵐が丘』といった大人向けの作品にも手を伸ばすようになりました。
― 小学生でサマセット・モームやシェイクスピアはすごいですね! 作品を理解するのは難しくありませんでしたか?
シェイクスピアの作品は、最初は子ども向けに要約されたものを読み、中学生になってから原作を読みました。シェイクスピアに限らず、他の名作も同じように段階を踏んで読み進めたおかげで、多くのすぐれた文学にふれることができました。
私はこの読み方がとてもいいことだと思っているんです。実は、名作を子ども向けに要約した本というのは日本独自のもので、欧米ではあまり主流ではありません。中には「原作の解釈を損ねる」という否定的な意見もあるくらいです。要約版のままで止まり、次のステップへ進まない人もいるかもしれません。それでも、幼い頃に名作と言われる良質な文学に少しでもふれる機会があるというのは、とても意義のあることだと考えています。
― 幼いながらに実にさまざまな文学作品にふれていらっしゃいますが、とくに影響を受けたものはありますか?
先ほども申し上げたサマセット・モームの『月と六ペンス』は、小学生のときに子ども向けではない本物を読んで大変衝撃を受けた作品の一つです。画家のゴーギャンを基にした物語ですが、証券会社に勤めて安定した生活を送っていた主人公が、すべてを捨てて絵を描くためにタヒチへ向かうという奔放さに驚かされました。同時に「なんて自由なのだろう」という強い憧れの念を抱いたことも覚えています。
また、大好きだった作品として『若草物語』があります。小学1年生のときに初めて読み、本が擦り切れるほど何度も繰り返し読んでいました。とくに四姉妹の次女ジョーが大好きで、あれこれ空想しながらよく彼女の真似っこをして遊んだものです。直接的に影響を受けたわけではありませんが、今振り返ると、この作品が現在の私の原点であり入り口になっているように思います。
― まだらめさんは、児童文学作家・翻訳家として日本でご活躍されていましたね。海外文学に親しまれていたということは、翻訳家としてキャリアをスタートされたのでしょうか。
英語が好きで外国の音楽などもよく聴いていましたし、書くことも好きだったので、自然と「子どもの本を翻訳したい」と思うようになりました。けれど、翻訳をするには母国語である日本語の引き出しがないといけないんですよね。そこで、日本の児童文学を学ぶワークショップに申し込み、受講することにしました。
そのワークショップで、一度「物語を創造して書く」という宿題が出ましたが、これがとても楽しかった。「もしかしたら翻訳よりおもしろいかも!」と思い、1年間のアメリカ滞在を経た後、帰国してすぐに当時ポプラ社が主催していた「学年別・子どもおはなし劇場」小学1年生部門のコンテストに応募しました。4月に帰国し、7月の締め切りギリギリの応募でしたが、幸運にも入賞し、ポプラ社からデビューすることになったのです。その受賞作が、好評で後に何作も書かせていただくことになった「おひめさまシリーズ」です。
そして、同シリーズを書いていた時期に、英国でアニメシリーズの「きかんしゃトーマス」が人気となり、版権を持っていたポプラ社から翻訳の依頼を受け、創作につづき、翻訳家としての仕事も本格的にスタートすることになりました。
……【後編】につづく