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栃木県の歴史散歩

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吾妻古墳

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 「畿内には、そんな形の前方後円墳はないな。君、これは手抜き工事じゃないですか」と、小林行雄博士。古い赤レンガ造りの京都大学考古学研究室が、いっそうくすんで見える曇った秋の夕暮れ、栃木県内の変った古墳を下都賀郡壬生町藤井の林の中にある吾妻古墳のことを話していた折りである。手抜き工事―これは面白い表現だと思う。あれからもう6、7年もたったろうか。ふり返ってみると、俊敏な小林博士は、なかば冗談のようにして、ことの本質を鋭く指摘されていたわけである。
 細かくいうと面倒になるが、古墳の手抜き工事とは要するに、小さい古墳を大きく見せかける土木技術のことである。話を進める都合上、前方後円墳の形を、ちょっと説明しておこう。
 日本独特の形といわれるこの古墳は、円い塚の一方に、扇形の前方部をつけたものである。塚は土盛りで、後円部と呼ばれる円い塚の方に、死者を葬る埋葬施設のあるのが普通である。
 細長い塚の周りには、箕を伏せたような、末広がりの形の堀がある。周溝と呼んでいる。
 手抜き工事といわれた古墳は、墳丘のまわりがほかのものとやや違う。
 大阪府羽曳野市にある清寧天皇陵、茨城県玉造町の三味塚古墳、吾妻古墳である。
 清寧陵が、本当に清寧天皇の墓であるかどうか、考古学者の間には疑問視する向きも多いが、この問題はいま取上げない。前方部がやたらに広がった墳形だが、後期の古墳ということだけ指摘して、あとは触れずにおこう。当面の問題とは関係ないから。
 清寧陵の周溝は墳丘に接している。周溝の内側の形は、墳丘の外形そのものである声に、注意していただきたい。畿内にある前方後円墳で、周溝をもつものはみんな墳丘のすそがすぐ周溝になっている。
 前方後円墳の建前はこのようなもので、これは東国にも、従って本県にもたくさんある。小山市の琵琶塚古墳や摩利支天塚古墳、宇都宮市の笹塚古墳、塚山古墳など大型古墳がそれである。
 三味塚古墳も、畿内型の前方後円墳である。墳丘の長さが85mで、外側の周溝の長さが135m、墳丘と周溝のバランスがよくとれた、美しい設計である。
 さて、問題の吾妻古墳にとりかかろう。墳丘の長さが84m、三味塚古墳と大体同じ大きさだが、墳丘のまわりに、台地をそのまま利用した平たい壇がある。壇の外側に周溝がある。壇の外側は、墳丘のようにくびれてはいないので、周溝内側の形が、清寧陵や三味塚古墳と違う。
 周溝は壇の寸法にバランスをとって、平面形が決められる。壇の外側に堀るのだから、古墳全体はかなり広大な面積になる。
 さて、吾妻古墳の墳丘は、三味塚古墳と大体同じ寸法である。にもかかわらず、周溝の全長は、清寧陵とほぼ同じ長さである。
 古墳は周溝の外からながめるものだ。中に入れないよう、堀がある。
 吾妻古墳と三味塚古墳を、仮に並ばせてみよう。あなたが周溝の外に立って、2つの古墳を比べたら、どっちを大きいと思うだろう。お立合い。ここが手抜き工事の妙味である。
 吾妻古墳の手品は、古墳設計の段階で、実に綿密に計算され尽してある。後円部の直径42mの6分の1は7mである。6分の1は、60進法による単位で、これをアールとする。
 墳丘全長は12アール、基壇の長さ106mは15アール、周溝の長さ168mは24アール、いずれも6分の1の整数倍になる。
 墳丘全長12アールを1とする比率は、1対1.25対2になり、周溝の長さは、墳丘の2倍の長さにびたりとおさえてある。
 築造工事の労力を少なくし、しかも大きくみせかける、見事な手並みである。
 近ごろ、あちこちで工事の手抜きが摘発されるが、下野の先人の工夫をもう少し見習ったらどうだろう。

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