吾妻古墳
2月
18日
細かくいうと面倒になるが、古墳の手抜き工事とは要するに、小さい古墳を大きく見せかける土木技術のことである。話を進める都合上、前方後円墳の形を、ちょっと説明しておこう。
日本独特の形といわれるこの古墳は、円い塚の一方に、扇形の前方部をつけたものである。塚は土盛りで、後円部と呼ばれる円い塚の方に、死者を葬る埋葬施設のあるのが普通である。
細長い塚の周りには、箕を伏せたような、末広がりの形の堀がある。周溝と呼んでいる。
手抜き工事といわれた古墳は、墳丘のまわりがほかのものとやや違う。
大阪府羽曳野市にある清寧天皇陵、茨城県玉造町の三味塚古墳、吾妻古墳である。
清寧陵が、本当に清寧天皇の墓であるかどうか、考古学者の間には疑問視する向きも多いが、この問題はいま取上げない。前方部がやたらに広がった墳形だが、後期の古墳ということだけ指摘して、あとは触れずにおこう。当面の問題とは関係ないから。
清寧陵の周溝は墳丘に接している。周溝の内側の形は、墳丘の外形そのものである声に、注意していただきたい。畿内にある前方後円墳で、周溝をもつものはみんな墳丘のすそがすぐ周溝になっている。
前方後円墳の建前はこのようなもので、これは東国にも、従って本県にもたくさんある。小山市の琵琶塚古墳や摩利支天塚古墳、宇都宮市の笹塚古墳、塚山古墳など大型古墳がそれである。
三味塚古墳も、畿内型の前方後円墳である。墳丘の長さが85mで、外側の周溝の長さが135m、墳丘と周溝のバランスがよくとれた、美しい設計である。
さて、問題の吾妻古墳にとりかかろう。墳丘の長さが84m、三味塚古墳と大体同じ大きさだが、墳丘のまわりに、台地をそのまま利用した平たい壇がある。壇の外側に周溝がある。壇の外側は、墳丘のようにくびれてはいないので、周溝内側の形が、清寧陵や三味塚古墳と違う。
周溝は壇の寸法にバランスをとって、平面形が決められる。壇の外側に堀るのだから、古墳全体はかなり広大な面積になる。
さて、吾妻古墳の墳丘は、三味塚古墳と大体同じ寸法である。にもかかわらず、周溝の全長は、清寧陵とほぼ同じ長さである。
古墳は周溝の外からながめるものだ。中に入れないよう、堀がある。
吾妻古墳と三味塚古墳を、仮に並ばせてみよう。あなたが周溝の外に立って、2つの古墳を比べたら、どっちを大きいと思うだろう。お立合い。ここが手抜き工事の妙味である。
吾妻古墳の手品は、古墳設計の段階で、実に綿密に計算され尽してある。後円部の直径42mの6分の1は7mである。6分の1は、60進法による単位で、これをアールとする。
墳丘全長は12アール、基壇の長さ106mは15アール、周溝の長さ168mは24アール、いずれも6分の1の整数倍になる。
墳丘全長12アールを1とする比率は、1対1.25対2になり、周溝の長さは、墳丘の2倍の長さにびたりとおさえてある。
築造工事の労力を少なくし、しかも大きくみせかける、見事な手並みである。
近ごろ、あちこちで工事の手抜きが摘発されるが、下野の先人の工夫をもう少し見習ったらどうだろう。