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篆額と自虐

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則天文字の「埊」……三鷹市牟礼の石橋供養の碑

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左が平成8年3月刊『みたかの石... 左が平成8年3月刊『みたかの石造物』該当ページへの文字訂正
右が実際の碑の右側面(2017年2月3日撮影)
 江戸時代半ばの石碑に、則天文字の「地」が刻されていること、発見したんだって!

 そうなの、1700年代半ばの、石橋供養碑、右側面に、くっきりと「埊久」とあって、その下にも、ちょっと変な字体が続いてたの。

 で、その写真をデジカメでパチリして来たわけね。そもそも、どうやって「埊」の字なんかの、ちょっと読めない字に気づいたわけ?

 ほら三鷹の禅林寺にある森鷗外や太宰治のお墓に行ってみたい、って言ってらしたわょね。ご案内する前に図書館で下調べしておこうと思って手に取ったのが『みたかの石造物』。平成8年発行のA4サイズの刊行物で、それを三鷹市立図書館の2階、地域資料室でめくってみたら 
  埊久𠙁𠑶
 みたいに組まれた活字が目に飛びこんできたのよ

 ほう。で、それ三鷹のどこにある碑だったの。

 三鷹市の東はじ、もう杉並区の久我山に近い、牟礼(むれ)という地区。玉川上水にかかっている「牟礼橋」とか「どんどん橋」って呼ばれるところに建ってる石碑のようだったの。すぐ三鷹駅の南口まで戻って、バス1番乗り場から久我山駅ゆきに乗車。速攻で確認してきたわよ。

 やったね! その写真どおりに、できるだけ字体を正確に再現しながら、碑の右サイドにどんな漢字が刻されているか、大きく入力してみよう。

  維此辜月 新考石梁 不騫不朽
  千載有常 行人坦坦 河水湯湯
  太平餘澤 埊久𠀡𠑿
   寚厤丁丑  景山平忠充題


 こう読み取ったわけね。終わりの行の年号は「宝暦丁丑」でいいの。

 うん。「丁丑」は、しっかり刻されてる。宝暦の丑どしは七年。西暦1757年。碑の正面「石橋建立供羪之碑」の右と左に「寳暦七丁丑歳」「十一月大吉日」と刻されているのと、ぴったり合致。

 刻されている字体「寚厤」は、「寶」から貝を除き、「曆」から曰を除いた漢字、っていうわけね。

 そう「寚」も「厤」も、字書にどう載っているか調べたょ。と言っても江戸時代のなかごろ、もっとも使われていた明・梅膺祚『字彙』にあたってみたんだけど。

 『康煕字典』じゃなくて?

 1700年代なかばの我が国に、康熙55年(1716)に完成したという『康煕字典』が舶載されたとしても稀覯本だったろうね。『康煕字典』の和刻版行は安永7年(1778)だからね。よって1600年代の中頃、寛永年間から和刻がある部首別・画引きの『字彙』に拠ったのさ。
   『字彙』寅集・宀部【十】画の最後に「寳正字」うんぬん、
   同じく子集・厂部【十】画の最初に「與歴同 經渉也 又與暦同 又治也 理也」と載ってた。

 レキと音読みすべき「厤」のほうを、訓読みが「あさ」の「麻」に間違えちゃいけないわよね。

 図書館で見た『みたかの石造物』でのミスだね。石に刻されたとおりの文字を活字で再現しようとしたんだろうけど常用漢字で、もっとも字体が似ているってだけで「麻」にしちゃ、音も「マ」で別字になるからダメだよね。

 そして最後の人名「景山」なんとかさん、って誰?

 残念なことに不明。「景山」が号で、平家を姓のルーツにする「忠充」さん、とふんで調べてみたけど。刻された四言の銘は、おいおい説明するように儒教経典での用例をふまえてるから、そこそこ力のある学者先生だったはず。京都に堀景山っていう儒者がいて、のちに国学者として大成する若き本居宣長を教えていたことで名高く時代はぴったり合うんだけど、地域的に違うだろうな。

 いよいよその銘、特に「埊久𠀡𠑿」と解読した部分、『字彙』という字書にどうあったわけ。

 ちょっと待ってね。四言の銘×8句の計32字すべてをみていこう。偶数句の末(四字目)で押韻のはず。まずは、じっちゃま渾身でこさえた、gg訳を披露すべぃ!
   [銘]    【gg訳(ほぼ七五調~ゥ)】
  維此辜月  これこの 霜月
  新考石梁  新たに成った 石の橋梁(ャ~ゥ)
  不騫不朽  欠けず 朽ちずに
  千載有常  千とせ たもつぞ恒常(ャ~ゥ)
  行人坦坦  行く人 平坦タンタンと 
  河水湯湯  上水 盛んにショウショ(ャ)(~ゥ)
  太平餘澤  平和の 余沢
  埊久𠀡𠑿  地久に 天長(ャ~ゥ)


 ふざけないで、まともに読み下してよ。

 そんなこと、お嬢さん、君を含め誰でもそこそこできるだろうて。むしろ銘の作者「景山」先生が、どんな儒教古典での用例をふまえ、韻をどう踏んだか考え抜いて、260年たった今ようやく「理解しましたょ」って胸を張って訳出したのが、この「迷」訳だぞ。

 はいはい。「維れ此の辜月」の「辜月(コガツ)」は11月の異称。儒教経典に使われた語句を分野別に配列した中国古代の辞書『爾雅(じが)』釋天に
  正月為陬,二月為如,三月為寎,四月為余,五月為皋,六月為且,七月為相,
  八月為壯,九月為玄,十月為陽,十一月為辜,十二月為涂。
 とある……とかの解説を期待してるのよ。

 じゃ次の句「新考石梁」は、「新たに石の梁(はし)を考ふ」とか訓読して、事足りるわけ。

 宝暦七年の十一月、牟礼村のこの場所で玉川上水に「新たに石橋を掛けることを考えました(企画した)」でいいと思うけど。ただここ「考」の字が違うんじゃないかな、って気になってるのよ。

 たしかに。「考」に似た別の字として読み取れないかな、「爲」の異体字とみなせないかな、って調べたけど無理みたい。しかも11月には石橋を掛け終わっての完成記念の石碑なんだろうから「考」の別の意味を考えなきゃ。すると「考」には「成」と同じとの義があったんだ。『字彙』未集・老部「考」に「又成也 [春秋] 考仲子之宮 [胡傳] 考者始成而祀也」がそれ。『春秋左氏傳』隱公五年「九月考仲子之宮」への宋・胡安國の註に「考者始成而祀也」とあることに拠ったとみなせば、「新考石梁」は「新たに完成した石橋のお祝いをします」との意味になるかな。

 なにそれ。「考」を「かんがえる」と読まずに「新たに考(な)る石梁」って訓読なさい、ってこと。

 そのほうがいいょ。すくなくとも「石梁」の「梁」は韻字。原文どおり「セキ・リョー」とか、gg訳で使った「橋梁」の「キョウリャ~ゥ」とか、旧字音仮名づかいでの「りゃう」の響きに注目すべし、だよ。

 「石の橋梁ャ~ゥ」とまで、ふざける必要ないでしょ!

 いやいや、この銘の韻字、「景山」先生がどんな工夫をされたか、しっかり押さえるべきだったんだ。「石梁」「有常」「湯湯」それに「𠀡𠑿」の韻字は、すべて下平「陽」という韻目に属す、と解釈してみた。

 「梁」と「常」は、音読みで「リョウ」「ジョウ」。押韻してるな、ってわかるけど。

 あとの2例が、調べ甲斐おおありクイだった。「湯湯」は、常識的な「とうとう」じゃない別音の選択。そして最後の四字「埊久𠀡𠑿」は、使われた異体字の判読に、漢字音のひびきを勘案すべし、ってことだょ。少なくとも「景山」先生の教養が第三の句「不騫不朽」で伝わって来た!

 そこも『みたかの石造物』が「不賽不朽」と活字に起こしてたけど、実際に牟礼まで碑を見に行って、すぐ「騫」をお賽銭の「賽」に間違ってるな、って気づいたゎ。

 そこなんだよ。新たに完成した石橋が、壊れず朽ちずと表現した「不騫不朽」は、『詩経』小雅の次2篇で使われた「不騫不崩」という句を踏まえているんだ。
  《天保》「如南山之壽、不騫不崩。」
  南山の壽の如く、騫(か)けず崩(くず)れず。
 《無羊》「爾羊來思、矜矜兢兢、不騫不崩。」
  爾(なんぢ)の羊來たる(思=助辞)、矜矜兢兢として、騫けず崩れず。

 朱子学の大成者、南宋・朱熹(集傳)は「騫」について、ともに「虧也」と註している。「虧」は欠ける、「不騫」は欠けないで、石橋の耐久性をうまく表現できる、古典での用例になるわけ。

 あら古典を踏まえた「不騫」を「不賽」にまちがえるようじゃ、お賽銭あげませんって、変な解釈が生まれちゃうわね。

 そして牟礼の石橋供養碑の銘で続く「行人坦坦、河水湯湯」の「坦坦」と「湯湯」も、儒教古典にある表現。
 まず「行く人 平坦タンタンと」訳したほうは、『周易』履(り)卦の九二「履道坦坦、幽人貞吉(道を履むこと坦坦たり。幽人貞にして吉)」。
 さらに「湯湯」も、『書経』堯典と『詩経』衛風に用例があって、しかもともに「トウトウ」と読ませていない。朱熹の弟子である南宋・蔡沈による『書經集傳』巻一「虞書」○堯典で
  △帝曰「咨四岳、湯湯洪水方割。蕩蕩懷山襄陵、浩浩滔天、下民其咨。有能俾乂。」
 とある部分には「湯音傷」との音注や「湯湯水盛貌」との意味の註がみえる。
 帝曰はく「咨(ああ)四岳よ、湯湯(しゃうしゃう)たる洪水方(まさ)に割(そこな)ふ。
       蕩蕩として山を懷(つつ)み陵に襄(のぼ)り、
       浩浩として天に滔(はびこ)り、下民其れ咨(なげ)けり。
       能くする有らば乂(おさ)め俾(し)めん」と。


 『詩経』での「湯湯」も「ショウショウ」と読むの?

 『詩経』衛風《氓》淇水湯湯,漸車帷裳。
  淇水湯湯(ショウショウ)たり、車の帷裳を漸(ひた)す。

 ここも朱熹の集傳では「淇水湯湯」に「音傷」と、「湯」の読みは「シャウ」だよとの音註を入れ、さらに後から「湯湯,水盛貌。」との説明を加えている。つまり『書』『詩』ともに、水が盛んに流れるさまを表現する「湯湯」の発音は「ショウショウ」。現代中国音でも「shāngshāng」で、古典を踏まえるなら「tāng tāng」とは読まないはず。そこのところを「景山」先生の銘も踏襲。

 ここまで3つの韻字が「梁・常」に、ショウと読む「湯」なのね。

 それゆえ銘の最後32字目もX「-ャウ(-āng)」と発音する字を置くはず。いよいよ「久」に続く2字の解明だよ。

 結論は「天長地久」をひっくり返した「地久」+「天長」で、「長」が韻字、って言いたいんでしょ。

 そのとおりだけど、それをまた『字彙』に載っている字で裏付け、納得したいわけなんだ。

 「地久」の「埊」が則天文字なんだから、「天長」のほうも則天文字を使ったのかなって思ったけど、違うわね。

 「埊」も、『字彙』に拠る限り則天武后による新作文字という知識は、得られなかったのかも。その丑集・土部【七】画に見出し字として「埊」が載ってるけど、説明は割注で「同地」の2字のみ! そして銘の最後の2文字。意味と韻から「天長」であるはず、と強く推測しての字体さがしになった。

 「埊久」に続く3文字目は、ちょっとみ「正」の下に「几」の、「𠙁」という字なのかしら。

 そうも見えるんだけど、「𠙁」という文字は『字彙』に見いだせないんだ。よって、撮影してきてもらった碑側面の写真をじっとながめ、「𠙁」じゃなくて、「一」の下に「先」を置いた「𠀡」と改めて判読。この字なら『字彙』子集・一部【六】画の最後に挙がっていて「同天」との割注がある。

 これで最後の句も「地久天…」って3文字まで読めたってことね。最後の「長」は『字彙』のどこにどんな字体で載ってるの。

 そのまんま「長」の見出し字に付されてた。部首としての画数【八】を収める戌集での「金」へん【二十】画が終わったあとすぐが「長部」。
   古文長字 𨱗 古文長字  古文長字
 「景山」先生はこの3例目、「㒫」の字体を韻字に使って「地久天長」と銘を結んだと判定!

 あれ、お得意のgg訳[銘]の原文まで、そこは「㒫」を使わないで「𠀡𠑿」って、「㒫」より一筆、画数が多い「𠑿」の字をお示しなんだけど?

 うん。「景山」先生は『字彙』の「長」部にあった「㒫」を、「チャウ」が発音の「長」の古文と確信し、牟礼の碑に彫らせたろうね。ただし『字彙』が補うべき事例の多い時代遅れの字書とみなされると、「㒫」は「チャウ」でなく「キ」で「既」の「旡」と同字ということになる。

 『康熙字典』と比べると、『字彙』での「㒫」の扱いは間違い、ということですの。

 そう。『康熙字典』儿部・四画での見出し字「㒫」は、「チョウ」と読む「長」の古字ではなく、音「キ(jì )」の別の意味の字として『廣韻』や『説文解字』を典拠に載っている。よって、牟礼の石橋供養碑の右側面、銘の最後は韻字だけに、「㒫」と示すと現行の字書を根拠に韻の踏み外しではと疑われることになるかも。だから『字彙』に載ってないんだけど、ほかでは長の異体字で間違いのない𠑿を、あえて使うことにしてみた。

 ややこしいわね。でもなんとなく「厤・レキ」を「麻・マ」に取り違えるようなことがおこらないよう、銘の最後は「長・チョウ」の異体字だよって示したい、との意図は伝わってきたゎ。

 なんとか「景山平忠充」と題署した学者さんが使っただろう『字彙』にのっとって字体を判定しつつ、なおかつその『字彙』より新しい現代でも使われている字書に準拠してしまうと銘文の意図が損なわれてしまうことのないよう、時間をかけて解釈したんだよ。

 それはご苦労様。こんど現地へとご一緒してあげるわね。

 嬉しいね、案内を期待してるよ。とにかくこの石橋供養の碑、正面の写真は Web 上で拾えたけど、側面の銘が写った画像は探せなかった。お嬢様ご撮影の石碑・右側面は、とってもありがたく、勉強させていただきました、と。

 どういたしまして。碑文を載せた別の書籍も、お調べになってるご様子ね。現地ではじっくり観察して、また追記をお願いね。

 じゃ今回の最後は、以上で参照した『字彙』そのものの画像を示すため、国文学研究資料館のサイトへとリンクさせておくね。
 すべて盛岡市が所蔵する『頭書字彙』モノクロ画像(全920コマ)該当箇所へのリンク

丑集・土部【七】画に「埊」
『頭書字彙』丑集(29丁裏の初行なかごろ)【nijlサイト138コマ/全920コマ】
   同地

子集・一部【六】画の最後に「𠀡」(【七】画の直前)
『頭書字彙』子集(3丁表)【nijlサイト47コマ/全920コマ】
  𠀡 同天

戌集・長部の「長」字に付された「镸・𨱗・㒫」
『頭書字彙』戌集(14丁裏)【nijlサイト740コマ/全920コマ】
   古文長字 𨱗 古文長字  古文長字

寅集・宀部【十】画の最後に「寚」
『頭書字彙』寅集(8丁裏)【nijlサイト177コマ/全920コマ】
   [晧清]寳正字 [六書正譌]从
        宀玉會意缶聲隷
        作寶通俗作寳非

子集・厂部【十】画の最初に「厤」
『頭書字彙』子集(58丁表)【nijlサイト102コマ/全920コマ】
   與歴同 經渉也 又與暦同 又治也 理也
#三鷹市牟礼 #則天文字

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