「夢」について考える。 睡眠時、現実のような経験であるように感じる心理、潜在意識だったりする夢。もうひとつの意味合いとしては、未来にみる希望だったり目標とすること。どちらの意味からも共通なのは、現実に起きていることの事象や結果ではないということだ。つまり想像の世界を領域としている言葉である。植物は種の保存という遺伝子からくるメカニズムがあるが、人間はそれ以外で自分に振り返り生き方を変化させることができる。植物にはそれがなく、夢を持たない生命体なのである。 もし、人間に夢という概念がなかったらどのような生き方をするのだろうか。それは身体の自由が効かぬ植物状態に等しいのではないかと考える。誰かの手や器械を介さないければ生きていけないということだ。衣食住に必要なものを要求する未来への思考を持たなければ生きることは不可能だろう。夢がなければ今の人間という生命体は存在しない。 植物のように夢がなくても生きていける生命体ではないということだ。人間は夢がなければ生きていけない。明日も充実したいとあらためて意識していなくても、心の深層ではそのような夢を見続けている。 また、夢には影がなければ成り立たない。光を夢とするなら、影は不安であろう。そして、夢にとって不安は必要な概念である。明日の私は大丈夫なのか、という不安を打ち消そうとする際にも夢の発想に関与し影を明るくしようと作用する。不安と夢には深い相互関係があるようだ。 すなわち、人間は夢がなければ生きて行けない複雑で繊細な生きものということ。私には夢がないという人がいるが、昏睡状態でなければ夢のない人は存在していない。夢をみる、夢を描くといった思考は生きるために呼吸する事と同じように必要なモノだ。 と、着地しておこう。 (なんでだろう、今週は夢に拘ってしまう、自分。。。)