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ル・マン24時間レース 回顧録⑤

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新型感染症が世界的に深刻な被害をもたらした2020年。
この年、それでもル・マン24時間レースへの挑戦を見届ける必要があった。
その回顧録を自分視点で、記憶が曖昧になる前に残しておこうと思う。
※プライバシー配慮のため、人名等はイニシャル表記にする
※そんなもん、いまどき検索すれば出てくるだろうが・・・
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【序章-5】
この物語の主人公Y氏。今回は少し視点を変えて、Y氏を傍で支え続けてきたF氏と共に、2013年の参戦当初から一人の先輩レーサーとしてアドバイザーを務め、かつ、現役のドライバーとしてY氏と共にタッグを組んで耐久レースに出場したM氏について触れておこうと思う。

M氏もまた、F氏と同じトヨタワークスで日本のレーシング黎明湖から活躍してこられたレーサーである。F氏からすれば後輩にあたるらしいが、我々世代からすればどちらも「伝説」のドライバーと言うことになる。
F氏の場合はイギリス時代のボスなので主従の関係性にあたるが、M氏の場合は自分が担当したドライバーという関係性であるため、同じ時間軸のレースを「共に戦った」という、誠に貴重な経験をさせて頂いた。

お気付きの方も居るかもしれないが、トヨタワークスで走っていた、というトコロからも、2013年から時点でのM氏は既に世に言う高齢ドライバーにあたる。
当時は60代後半という年齢のハズなので、高齢と言う言葉が適当かどうかは判断に欠くのだが、もうすぐ70代に手が届くレーサーであったことは確かだ。

だからと言って、その辺は流石プロレーサーである。
ひとたびレーシングスーツを着てマシンに乗れば、闘争心やドライビングの勘どころは、そんじょそこらのレーサーよりも格が上なのである。
「海千山千」とはよく言ったもので、レーサーとしての運転センスは、間違いなく現役そのものだった。

これは、真横で直接担当してきたからこそ、の率直な感想である。
ただしレーサーとしては、高齢ゆえの面白いエピソードもある。

「歳をとると堪え性が無くなっちゃうんだよ、コーナーで競り合ってても、昔はコノヤローって負けん気だったけど、なんか面倒臭くなってくる時があるのよ」

笑ってそう言い放つM氏に、正直だなぁ・・と、ウケながらも人間としての器の大きさを感じた。
そんなM氏は、ル・マン24時間レースの日本人初クラス優勝ドライバーでもある。
このことからもY氏がル・マン24時間レースへ出場するには最高最適なサポーターの一人であったことが分かる。
日本人として初のル・マン24時間レース出場ドライバーでありながら、数々のル・マン車輌を手掛けてきたF氏に、日本人として初のクラス優勝ドライバーのM氏。
ル・マン24時間レースの厳しさと表裏一体の甘美を知る心強いバックアップ。
こんな布陣、なかなかそう実現するものではない。

ところで先回の記述に、Y氏の出場した耐久レースで、重量のハンディについて露呈したという事を書いたのだが、実はそのコンビドライバーこそM氏に他ならない。
年齢がどうかは別として、体格的に背はそこそこあるが体重が無い・・・。
たしか、その辺でダイエットに勤しむ女性よりも軽い体重だったと記憶している。

これがどういう事か。

せっかく「超」がつくほどの軽量化に成功したものの、規則上、車輛の最低重量は<どのドライバー乗車時であっても>保てなければならない。
つまり、女の子より軽いM氏の体重に合わせて最低重量を合わせなければならず、この時の耐久レースでは約20キロ弱のウエイトを積むハメになった。血眼になって軽量化に成功した車輛にウエイトなんて!!
かと言って、ドライバー交代の度にその邪魔なウエイトを外す訳にはいかないから、Y氏乗車時にはことさら足枷にしかならないのである。

しかしながら、耐久に有りがちなドタバタ劇もそこそこに、この耐久レースでは見事優勝を飾り、今となっては苦しくも楽しい思い出である。
そしてその後の雑誌取材で、この時のレースをM氏自らが「一番楽しかったレース」と称してくれたことが、パートナーとして携わった者としては最高の名誉でもあるのだ。

<つづく>
#ルマン24時間レース

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