4月
4日,
2021年
日本の落ちる民度
「お客様は神様ではない」
「お客様が店を選ぶ自由があるように、店にもお客様を選ぶ自由がある」
閑話休題。
何があったかを、時系列で記してみる。
①50~60代男性が一人で入店。
②「イラッシャイマセ」と声を掛けるが、目も合わさずにトイレへ直行
③再び現れ、こちらの声掛け問いかけに頷くだけで、店内を無言で散策される
④商品を多数陳列しているような店舗形態ならともかく、対面でコミュニケーションしながらのサービスだから、何を聞いても応えてくれないので、こっちも困る
⑤おもむろに店舗案内を持って出店
大型の店舗などならいざ知らず、1対1しか存在しない狭い個人店で、雲鼓だけして帰って行かれた。
いや、誤解が無いようにしたい。
大前提として「要らないなら買わなくて良い。頼まなくて良い。」
でもせめて、目を合せて会釈や返事、トイレ貸して下さいとか借りましたとか。
フン別つく大人なんだから、何かコミュニケーション有っても良いんじゃないかな?
誰だって緊急事態は有り得るから、間髪入れずにトイレ入りたいときは有ると思う。
でも、自分の家じゃない訳で、ましてや店舗で過ごされる方のための設備を使うのだから、まだ過ごされる方になってない以上、何か一言あっても良いんじゃないの?
見えない場所ならともかく、目の前ガッツリ横断してアプローチしてるんだから。
その点、アメリカなんかに居ると・・・
ほかの州は分からないけど、ワシントン州に居ると、とにかく普通に皆さんの社交性が高い。「やぁ!」「こんにちは」
それは日本の美容室のような一方通行のコミュニケーションではなく、あくまでも社交。
ああ、人間だな・・と思う。
こういう社交性は京都の料理屋なんかへ行って、最も必要とされること。
「お金を払うから客」というスタンスは最も嫌われる。
他県の方に京都はイケズ・・なんて小馬鹿にされるけど、これはお客様をもてなしたいが故の弊害。
自分が客として大切にされたいなら、自分も店を大切にしなきゃいけない。
そして良い店は良いお客様が育て、またその逆も然り。
今ではなかなかお目に掛かれないけど、一見さんお断りのシステムも同じ。
紹介者の信用のうえでの予約だから店も安心できるし、客には紹介者の信用を落とさない立ち居振る舞いが求められる。そこには常に相手への敬意がある。
どこでどういうふうに人間関係が繋がっているか分からないから。
そうやって、信用をすこしずつ育てて行く。
だから本当に大切な店は、本当に大切な人にしか教えない。
こういうやりとりは、近年メンドクサイと敬遠される。そんな努力は不要、と。
そういう人は行かなければ良いだけのこと。
でも一度、店との信頼関係が築けると「なんて快適なんだろう」と気が付く。
デフレスパイラルで、何でもかんでも値段だけで判断されがちだけど、大切な「何か」が日本から急速に失われつつあるように思う。
たったシンプルな一言で良いと思うんだよ「こんにちは」「有難う」
よく、外国旅行で「はい・いいえ」「挨拶」「有難う」これだけ言えれば過ごせる、という極論があるけど、これは自分自身がまるでそのタイプなので、強くそう思う。
ちなみに、無言で雲鼓だけして出て行ったあの人は、客ですらない。
塩を撒いておくことにしおう。