10月
3日,
2020年
ル・マン24時間レース 回顧録①
この年、それでもル・マン24時間レースへの挑戦を見届ける必要があった。
その回顧録を自分視点で、記憶が曖昧になる前に残しておこうと思う。
※プライバシー配慮のため、人名等はイニシャル表記にする
※そんなもん、いまどき検索すれば出てくるだろうが・・・
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【序章ー1】
この話の主人公となる、ある一人のクルマ好き・バイク好きの、お世辞にもヤングではないドライバーが、公式の自動車レースを初心者として始めた所から物語が動き出す。
自分の記憶では2013年、50代を過ぎた紳士Y氏がレーシングカーでサーキットを走る目的で鈴鹿を訪れた。
後に判るのだが、既にこの時、ルマンへの布石があったと言える。
なぜなら、当時Y氏に「レーシングカーで鈴鹿を走るなら」と、当時自分が勤務するコンストラクター(レーシングカー製作業)を勧めたのは、世界的にレーシングビジネス最前線におられる同業者であり、日本のモーターレーシング黎明期にプロドライバーとしてトヨタワークスに属し、かのトヨタ-7を駆り、初の日本製F1マシン、マキF1でエフワンのチャンピオンシップに参加、更には日本人として初のル・マン24時間レースに出場した経歴をお持ちの、F氏その人であったからである。
ちなみに蛇足ではあるが、このF氏は自分がかつてイギリスへ単身修行へ出掛けた際の、コンストラクターのボスでもある。
2013年当時、素人が簡単に乗れるピュア・レーシングカーと言えば、エントリークラスのフォーミュラか、もしくは鈴鹿でならクラブマンレースという、アマチュアレーサーが出場するカテゴリーの車輛くらいしか無かった。
※正確には、その他ピュアレーシングマシンは有るのだが、こと鈴鹿サーキットを走るという目的、また、当時自分が勤務していたコンストラクターに紹介で来られている以上、そこで生産される車輛から乗れる車種を選ぶことになった。
さて、レーシングカーを知らない諸氏のために補足しておきたい。
自動車であることは言うまでもないが、ピュアレーシングカーはサーキットを走るためだけに、しかもレースに必ず制定される各レースごとの規則書にのっとって設計・製作される車輛を言う。
一般の乗用車でサーキットを走るために改造した車輛も、競技車両と言うことになるが、そもそも生産された目的が元は一般乗用である点から、ピュアレーシングカーとは区別したいと思う。
例えば知られるところではF-1を頂点とするフォーミュラや、かつてのGr.Cから派生するプロトタイプカー類、エントリークラスや玄人向けのレース専用車輛などがこれにあたる。また、自分がアメリカ時代に参加していたNASCARも、パイプフレームに汎用性のある原動機や変速機、外装を載せただけの、実はピュアレーシングマシンに属する、と補足したい。
これらピュアレーシングマシンはどれも、おしなべて軽く、狭く、そのために出来得る限り小さい傾向が強い。カテゴリーによって使用する材料が高価であったり、高度な機能性を兼ね備えているという違いはあるものの、基本的には設計理念は同じ所にある。
何故に今ここで、こんな長たらしい説明が必要かと言えば、理由がある。
Y氏は日本人としては稀に見る欧米標準的な長身で、流石にあそこまでデカいと、気の毒にも乗れる車輛が限られてしまうのだ。
ただでさえ狭く作られた車輛である。とは言え、どんなドライバーにも合わせられるように各部品は設計されてはいるのだが、乗り降りどころか、レーシングドライブに最も重要なドライビングポジションの確保に至るまで、調整の域を超え、Y氏専用に部品を製作したり改造を施さねば、運転に支障が出るレベルなのだ。
幸いなことに、Y氏が当初購入した車輛は基本設計としてもやや余裕のある造りで、更に、比較的改造が容易であった。
全く初めてのレーシングカーとしては、なかなか良い選択であったと思う。
その車輛でいざ、サーキットを走り始めたY氏なのだが、実は当初のことは自分は知り得ていない。なぜなら最初の数回、Y氏の走行を担当していたのは別の若手の社員だったからである。それ故、まだサーキットサービスをするには技術的にも精神的にも拙い面が否めず、巡り合わせで自分がバトンタッチしてY氏の走行を担当した、という経緯がある。
〈つづく〉