6月
18日,
2020年
お茶のこと③
台湾の場合だと、市場よりも茶行店舗へ買いに行った方が早くて楽に思う。
店舗数も多いし、よっぽどツアーに組まれたような観光客相手の店でない限りは、ちゃんと正当な買い物が出来る。そもそも扱う茶葉の品種が、本土ほど超膨大ではないから点在する店舗でも十分欲しい物が揃う。
ところが中国本土の場合、茶葉を買うにはやはり茶城(市場)へ行くのが最も品種と品質の吟味には適当だと思う。
もちろん台湾も本土も、生産者の元へ直接行ければ言うことないけど。
なかなかそうはいかないし。
中国本土の茶市場は、例えばイ〇ンモールが全て茶関係のテナントで埋め尽くされている、とイメージすれば日本人にも理解が容易い。
初めて足を踏み入れると、どっちを向いても同じ店の光景と余りの規模の大きさから、迷宮入りした気分に陥る。
当然、各テナントでは茶に関するあらゆるものが商いされており、よく見ていくとそれぞれに守備範囲があることが見て取れる。
そして、当然のようにピンキリの世界。騙される方が悪いというスタンスは禁じ得ない。
だから紹介などコネのチカラは偉大。
ただ、騙す業者が居ればとても親身で親切な業者が居る事も、是非お伝えしておかねばならない。
そこには「茶を愛する者同士は友」という精神があるからだ。
顔見知りの店舗が出来ると、とても懇意にしてくれる。この辺りは茶行にかかわらず、中国文化そのものの気がするが。
世の中には遠く生産者の地まで遥々訪れる「茶友」がいらっしゃるので、あっしなんかは足元にも及ばないのだけど、それでも全く知らない訳じゃ無いので、あっし目線で感じたことを書いてみた。
正直言って、中国のイメージはことさらに悪化傾向にある。
あっし自身は「中国だから」という概念はなく、美味しいかどうか、好みかどうか、自分にとって有益かどうかという判断しかない。
ここでいう有益とは経済的な側面ではなく、知的好奇心を満足させる背景や信頼に足る友情などである。
ハッキリ言ってしまえば、中国だろうが日本だろうが、信頼に於いて人種など全く何の担保も無く、悪い奴と良い奴は何処にでも混在している。
少なくとも個人間にはそれしかない。
茶を通して、ボラれもしたけど総じて良い思い出しか無い事を思い返すと、世界は決して悪いもんじゃない、そう思うのだ。
続く