1・17

あの時、あっしは京都にいた。
何故か寝付けなくて、朝方まで起きていた。
そして、ものすごく揺れた。

でも多分、阪神辺りとは比にならなかったんだと思う。
近郊でありながら、随分温度差があった。
「地震の大きさ」という意味だけでなく、被害の認識についても。
オンタイムで放送していたTVの情報でさえも相当錯綜していた。

時間が経ち、東日本で教訓として役立っていただろうか、と考えてしまう。
結局、未曾有の被害の前では、どれほど時代が進もうと人間は非力であり、脆弱だ。

ヒトがあてにならない、として備えなければ。
生き残るために、何が出来るか。
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