荷揚げ士、海外農場における重労働
9月
1日
職務内容は、朝から晩まで最低50kgから最大100kg近くの建築資材を担いで、マンションのような建設現場に運ぶといったものです。古い日本ではマンションはそもそもありませんが、大工がすべて行っていたのだと思われます。
この仕事に相当鍛えられて、筋肉が悲鳴を上げることに慣れ、その経験から海外農場の同様の重労働にも耐えることができました。海外農場の重労働とは、主にワイン農園のツルの除去でした。ひとつの列が300mほどあり、ツルといっても、太い幹のようになって腐敗しているので、大の男でも根を上げる大変な重労働でした。ひとつの列を終えるのに長いものだと6時間近くかかったことがありました。
イギリス人、アイルランド人、ドイツ人、オランダ人、イタリア人、フランス人などと主に同居していたのですが、屈強なフランス人が夜逃げするような仕事でした。しかも、低賃金でしたので、まったくもってやってられない仕事で、女性は見ていて可哀想になるほど何もできませんでした。
このような仕事は現代人には3kと言われて嫌われる内容だと思います。しかしながら、こうした仕事をやっている人間の方がまともだと私は思っています。
何というか人間ができているというか、親切な人が多かったという記憶があります。体を使うことが禅なのでありますから、こうした仕事を生業にしている人は、禅定力(集中力、生命力)が高い傾向にあります。この種の仕事は江戸時代までの日本人はきっと行っていたのだと思います。
いえ、うちの爺ちゃんは俵二俵をかつげたそうですから、戦争を経験した世代までは、結構、このようなことは常識だったのでしょう。江戸時代では男は俵二俵(60kg程度)を余裕で担いだそうです。
体を鍛えれば心(脳)も変わります。一度、この種の体験をされてみると良いかと思います。