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病人を病人扱いしない

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病人を病人扱いしないで、逆に病人ほど健康人として扱うことこそが、真の治病法だと私は考えています。実は病人を病人扱いして弱者として扱えば扱うほど、病人は「自分は弱いから」、「患者なのだから」という意識を強め、ますます本格的な病人になってしまいます。

私に相談されたある親御さんの話では、
お子さんが精神病院に入院したのを機に、
お子さんの症状は劇的に悪化したといっていました。

精神病院に入れば、医師や看護婦から四六時中、
入院者は患者として扱われます。
これは強力な洗脳になりえます。
(病院は軍隊と同様に外部からの情報が遮断された環境で、洗脳施設といっても過言ではありません。)

ヒトは扱われた通りになっていく。


不良を不良扱いすると不良は優等生になりません。
不良ほど優等生として扱うと、不良は不良であることをやめます。
自分が不良であることを忘れるからです。

陸上自衛隊にいたころ、私のまわりは暴走族あがりの不良だらけでした。

軍隊ではそういう連中を指導しないといけないという役割が定期的に回ってくるので、私は彼らと何度も衝突し、つばぜり合いを繰り返してきたものでした。
それでこんなことをしていても埒(らち)があかないと、あるとき考え、私は自らの師の言葉を思い出しました。

それはヒトは扱われたようになっていくという基本原則です。

これは私の師が強調して何度も何度も繰り返していたことだったからです。

そこで、実際に実践してみることにしたのです。
彼らに対して私が行ったのはただの一つです。

彼らの扱い方、接し方を180度、根本的に変えたこと。

彼らにはまず「私が悪かった」、「年上であるにもかかわらず、適切な指導をできずに申し訳ない」という態度で、接するようにしたのです。するとおかしなことに、不良たちが私のいうことを素直に聞いてくれるようになったのです。

今まで、言うことを一切聞かなかった連中が、しまいには「あいつが何か話しているから、みんな聞いてやって!」みたいな感じに変貌し、むしろ手助けさえしてくれるようになりました。

これは、不良を決して不良視、不良扱いしないで、尊敬に値する人物として私が彼らに接し、扱ったのが効いたのだと思っています。

健康な人を精神病院に入れて、「お前は人格障害だ、神経症だ!」などと朝から晩までそしてそれを来る日も来る日もの長きにわたって、繰り返されると、本人は「自分は病気なんだ」「自分は患者なんだ」と、自分を病人視するようになります。

無意識のうちに患者という言葉が出てきてしまう人は注意が必要です。それは、自分のことを潜在的に病人視している証拠だからです。

逆に、
病人を病人扱いせずにあえて健康人扱いすることで、
病人は健康になっていきます。
当事者が自分が病人であるということを忘れるからです。

病人というメンタリティーを捨てないと、病気はなかなか治りません。そのためには自分自身を病人扱い、弱者扱い、特殊扱いしないことが重要です。
そして、周囲の人間も、当事者を病人扱い、患者扱い、特別扱いしては実は良くない。

病人を病人扱いすると、当事者はいつまでたっても病気のことを、意識的もしくは無意識的に想起することにつながります。

病識を持つのと、自分を病人視しないということとの線引きは正直、難しいですが、病識としては、「せいぜいそんな性格的傾向を持っているのだなあ」程度に軽く抑え、呑気(のんき)に考え、「自分は○○病だから」、「○○障害だから」と、医師に言われたことを執拗以上に深刻に、自分の頭の中で繰り返さないようにすることも重要です。

そして、これは当事者をサポートする周囲の人間も心掛けないといけないことです。当事者のことを病人扱いしてはダメです。

また、精神医療の診断方法は
その多くが100%その医師の主観です。

つまり、何の科学的、医学的な根拠もありません。

科学的、医学的な根拠のない情報は信ぴょう性がそもそもないわけですから、たとえ権威ある医師から言われたことであっても、その情報を鵜呑(うの)みにしてしまうのはかなり危険なことになります。
(自分を病人視することにつながる゠病人であるというメンタリティーの形成)

私は冒頭で述べた師の話を事前に聞いておりましたので、幸い、自分を病人視、病人扱いしたという経験はありません。ただし、過去の私の症状は相当に深刻なものでした。
病人扱い、患者扱いしていたら、何の行動も起こせなかったと当時を振り返ってそう思います。
今現在の私があるのは私の師のおかげであると思っています。
#病人を病人扱いしない

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みずき
みずきさんからコメント
投稿日 2018-01-09 22:31

人は扱われたとおりになっていく・・・というのは本当だと思います。 
それと同時に、人間関係は本当に鏡合わせなのだと感じました。 
先生はその時、一歩大人で紳士的な態度に変えたから相手も同じように変わったのでしょうね。 
それにしても、つまりこれは洗脳の基本原理でもありますよね。 
転んだ子供に駆け寄って「痛かったねぇ、大丈夫?」と心配すると子供は泣きますが、騒がず「大丈夫だから、起きてこっちへおいで~!」と言うと子供は自ら起き上がってきます。 
これは私の幼少期の記憶ですが、周囲に痛かったか心配されると、痛かったんだ、可哀想だから泣いても良いんだと思って泣いていましたね。 
誰もいないときに転んだり誰も見ていないときに転んでも自分で起き上がって平然と歩いていましたよ。 
これと同じことと思いました。

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沖仁宏
沖仁宏さんからコメント
投稿日 2018-01-14 21:26

自分を病人視扱いすると、まず治りません。人間も筋肉と同じで保護すればするほど弱くなりますので、周囲が当事者を特別扱い、患者扱いをして、あれもこれも本人のすべきことまで肩代わりし続けると、どんどん弱くなります。しかし、いくら苦しくても社会の荒波に立ち向かうような人の方は必ず前進があります。社会に立ち向かう人は自分を病人視していない。もしくはしていてもその傾向は弱いからです。人間の脳は自分にとって重要なことしか認知できないので、病人メンタルの人は、病人を継続するために必要な情報だけが頭に入ってくることになります。自分のことを病人だ、患者だと言い聞かせずにその逆をやり続ければいいというわけの話です。

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みずき
みずきさんからコメント
投稿日 2018-01-21 09:09

「病人メンタルの人は、病人を継続するために必要な情報だけが頭に入ってくる」 
そうか、それですね!!だから治そうとしないのね。気がつかない内に、自分(脳が)でそっちを選んでしまっているのだから。 
だからつまり、本当に病気になっていく・・・ 
これは自分で気がつかない限り治りませんね。 
どうも言葉が通じないのかと思っていましたが、そもそもそういう人の脳に私の言葉は認知されていなかったのですね。そりゃあ噛み合わない訳だ。 
 
嗚呼、確かにそうですね。私の場合ですが、人と違うしおかしいという自覚はありましたが、ずっと治したいと思っていました。つまりそれは、前提に治るものだと思っていた、病人や障害者という意識ではなかったということですね。 
だから本当に治る方法を捜しつづけて先生と出逢えて治ったのでしょう。 
自分の求めるとおりになっていくというのは、脳がそれを求めて良くも悪くも情報を取捨選択し認知するからなのね。

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有愛
有愛さんからコメント
投稿日 2019-01-12 23:36

自衛隊は何年行かれたのですか?

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沖仁宏
沖仁宏さんからコメント
投稿日 2019-01-17 20:56

有愛様
>コメントありがとうございます。

自衛隊には半年いました。
基本的に精神的に病んだ状態での破れかぶれの入隊だったので、
何年も何年もという感じの長続きはしませんでした。
ただ、挑戦できたこと自体は成長体験になったので良かったと思っています。

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