「茗荷谷」の由来を調べてみた。江戸東京伝統野菜協会と「とうきょうの恵みTOKYO GROWN」より
5月
20日
■江戸東京伝統野菜協会サイトより一部引用
昨年、早稲田ミョウガの捜索を行ったが、茗荷谷は神田川をはさんで南斜面、北斜面が早稲田の鶴巻町に当たるという位置関係だ。
江戸のブランドミョウガは、早稲田ミョウガであって、茗荷谷のミョウガは、ブランドとしての記録は残っていない。
文京区が設置した茗荷坂の説明板には、”ご府内備考に「・・・むかし、この所へ多く茗荷を作りしゆえの名なり云々。」とある。
また、旧町名案内に「旧茗荷谷町」につて、「小石川台地と小日向台地の間の浅い谷を茗荷谷と呼んでいる。
江戸時代、茗荷畑が多かったと記されたいる。