価値観の転機 ー 可愛い子には旅させろ
12月
31日
初めての渡米は、高校2年の夏休み。親父が「これからはもっと広い世界を観ておいたほうがいい。アメリカを観ておけ!」と高校生だけの2週間カリフォルニアの旅の申込書をどこで手に入れたのか差し出しました。
そして、訪れたのがここサンデイエゴ。最初の1週間はUCSDキャンパスの寮に滞在して、英会話の勉強(?)。次の1週間は観光旅行で、サンデイエゴからLA、ヨセミテ国立公園経由のサンフランシスコという旅でした。
「小っちゃえ!」
片田舎での評判や学校の成績に一喜一憂している自分がバカみたい。逆に言えば「世界は広い!」というある意味でのカルチャーショックでした。日本に帰る飛行機の窓からLAの街並みを観ながら、大学生になったらここアメリカにきっと戻ってくると誓ったのが17歳の夏でした。
大学受験にはことごとく失敗し、拾ってくれた西南学院大学に行ったのも最初から交換留学制度が大きな理由。晴れて交換留学の試験には合格し、当時全米各地に6校の受入校のうち、迷わずサンデイエゴを希望。大学3年の夏から1年間行ったのがSDSUでした。
留学到着早々に英語の速読の洗礼を受けて大きなショック。最初の半年は、寮、図書館、教室だけの生活でした。しかし、後半の半年は全く違ったキャンパス生活を過ごしました。というのも半年経過して、上達度に教授も初めての学生と驚くほどになり、半年後に日本に戻るのを辞めて東海岸の有名校への転学を勧められたことで自分なりの節目の納得。でも優秀な成績を取るための1年ではないはず。会話が一向に上達していない自分と17歳の夏を思い出し、取った行動は真逆でした。それは、寮の友達に誘われたら一切断らないと決めて、勉強はそこそこにコンサート、映画、試合などオフキャンパスで忙しい毎日。でもその時の生活が社会人になって役立ったと思います。
今回の28年ぶりの訪問は、冬休み中で全ての建物は閉鎖中。キャンパスも留学当時とは全く変わっていて最初は迷いましたが、鐘撞の建物と図書館だけは当時の面影が残っていました。全く新しくなっていた寮前で記念撮影中に通りかかったのが寮の管理をしている教授。親切にも寮の中に入れてくれて屋上まで案内してくれました。
同行した娘がシアトルに渡ったのが中学1年生。息子は小学4年生。親バカながら2人には勉強しろっと言ったことは一度もなく、逆に机以外の経験を!と言ったのは自分の高校生時代の記憶が原点かもしれません。親父が自分にしてくれたことを、子供たちにしてやってこれただろうかと思う旅でもありました。
自分の大きな転換期になったここサンデイエゴに、この時期まで訪問することがなかったのは何か必然的なものがあったという気がします。
さてさて、残りの人生、どんな絵を描こうか?
幼少の頃から「うちはうち、よそはよそ!」が口癖の親父。
他の家がそうだからということで強請ると大きな雷が落ちました。「自分を持て!」ということだったのでしょう。それ以外には、勉強しろとか長男だから家を継げとか何も言われたことはありませんでした。今から思うと好き勝手をさせてくれていました。
頑固親父に似て、こうと思ったら曲げない性格は似ているような気もします。社会人になって、一度は田舎に戻りながらも再び海外に出た息子をあっちに逝った親父も納得してくれていると思います。自分の子供たちにも自分の価値観や哲学というか自分の軸を持つ子供には育てたつもり。
何か色々と独り想うことの多い時間でした。
いくらIT技術が発達して、疑似体験や遠隔での同時会話ができる便利な世の中になっても実体験に勝るものはなし! 肌感覚や直感も大切にしたいと改めて思います。
あと12時間でここシアトルも新年を迎えます。自然、家族、仲間や健康にも感謝しながら今年をゆっくり振り返ってみたいと思います。
皆さん、よいお年をお迎えください!