""やりたいことをやろう!""
なんて言った時、
〜出来るようになりたい!、〇〇円稼ぎたい!、独立したい!、転職したい!、〜で優勝したい!、~を勝ち取りたい!、売れたい!、なんやらかんやら、、、
など何らかの行動の先の成果を挙げがち。
なぜなら、今まで何らかの行動の先に得られる目標を目指す事が是とされてきたし、成功してる人はなんだかんだそうやって目標を決めて動いてきていると聞いた!という刷り込み前提があるから。
という事で、年明けなり何らかの節目なりコーチングセッション(!)なりで目標を決めなきゃ!と設定してみるけど、実際の行動は続かない。
イケイケだったはずの目標を果たしている自分はそこにはいない。
それはなぜか?
その理由は、目標そのものも恐らく問題だけど、まずそこに至る行動・プロセスそのものが報酬と感じられるように設計出来ていないから。
目の前に人参をぶら下げて走るのでは無く、
先に人参を食べてしまって、食べながらでも走る。
というか人参があろうがなかろうが、走る。
走ること自体が楽しい。
そうして走りたくて走っているうちに、
自然とたどり着く先が本来設定すべき目標。
人参を食べることを目標にするのでも無く、
走る事自体が目的でありそれ自体をまず報酬にする。
得たい何かがぶら下がっているからでも、
何かにお尻を叩かれるからでもなく、
ただ走りたいから、走る。
筋トレで言うなら、鍛えて変化した姿に憧れてスタートするのも良いけど、実際の継続可否はトレーニングの内容や身体運動、負荷に対する神経刺激そのものを面白がれるかどうかで決まるのと似ている
何かに向かって努力する、は美徳かもだけど、当人からしたら正確では無い。
外から見て努力に見える物を、当人からすればほとんどのエネルギー消費無くただ遊んでいるだけ。
そうして進む事や動く事そのもの自体が楽し過ぎて、動きまくっているうちに後からついてくるもの。それが成果。
なので、だからこそ、過程に拘る。
ヘリコプターでエベレストの山頂に行きたいわけじゃない。
納得いく方法で登る。
納得の足りない方法で得た成果物の価値なんて、謎すぎ。
課程自体も、仮にその方法や手段が世の中的にはよくある手法や誰かの猿真似であったとしても、
本人の認識としてそれで進むことが楽しめるのであればそれで良い。
音楽演奏をやりたいなら、コピー演奏も一通りやれば良い。
そうやって動いているうちに飽きたり、また何か違う拘りが出てきたら、その時に変えれば良い。
そうやって行動する事自体が報酬していける事、それと結びつける目標の作り方が分かれば、割と今すぐにでも楽しくなれまっせ🕺
で、そのためにも自分は馬なのか、犬なのか、虫なのか、蠍なのか、宇宙人なのか、知る事が重要。
どうしても走る事をしてしまうのか、穴を掘ってしまうのか、毒で刺してしまうのか、銀河系を侵略してしまうのか(?)
そんなどうしようもない、個々人の逃れられない性質も最近のセッションの中では少しずつ見える事が増えてきてます。
私は、一体何になろうというのか👀
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ぼぶ / 駆け出しコーチの為の活動支援屋
Want to 1000% 実践プログラム主宰
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■コーチングと音楽のW事業を突っ走るコーチ&コンサル
■国立大学院卒→ホワイト企業 からの脱サラバンドマン
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