『ボヴァリー夫人』の不倫妻に共感
12月
13日
「不倫妻に共感」なんて書くと、何を暴露しているの!?と思われそうですが笑、フランスの名作『ボヴァリー夫人』を読んで思った率直な感想がそれなのです。
この小説は1857年にフランスで出版されたもので、その"社会秩序を乱す”内容は作者のフローベールが裁判にかけられたほどでした。
女性主人公のエンマが平凡な結婚生活に失望して不倫に走るというストーリーですが、エンマは恋愛小説を読むのが好きで、自分もいつか胸を焦がすような恋をするものだと思っていました。しかしとんとん拍子で結婚した医者の夫も、その生活も、あまりにも平凡でした。
映画やドラマでも、実際の交際でも結婚は華々しい”ゴール”ですが、新婚生活が終われば、あとは地味な生活です。朝昼晩の食事はロマンチックでもないし、料理を作った後には汚れた調理器具の山ができ、掃除をしなければ部屋は散らかります。早起きして夫に気付かれないうちに化粧をしていた努力もやめ笑、大抵は綾小路きみまろの世界、「新婚時代、口紅をひいて夫の帰りを待ちました。20年後の今、カーテンをひいて寝ています」になります。
『ボヴァリー夫人』が世紀の名作となったのは、エンマの平凡な結婚生活への失望、ひいては「胸を焦がすような恋を(再び?)せずに一生を終えるのか」という絶望に、多くの人が「自分の心にもそのかけらがある」と共感したからではないでしょうか。
興味深かったのが、訳者の中村光夫氏が後書きで、「このように観念に身をささげる女性がはたして実際にいるかどうかも疑問」と記していること。確かに1971年出版という半世紀前の翻訳ですが、きっと当時も不倫に走る女性はいたはずです。「エンマみたいな女性は実際にはいない」という考えの下で、この本が翻訳されたのが意外でした。
平凡な生活がどれほど幸せか、健康で未来の可能性に満ちた若い頃に気付くのはなかなか容易ではない…そういった思いから、私もエンマに共感した一人です。