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宇都宮市大谷寺・観音洞穴の調査

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 昭和40年3月、私たちは宇都宮市にある有名な大谷寺の観音洞穴を発堀していた。貝塚と同じように、ここでは、土器や石器にまじって、シカ、イノシシ、ムササビ、サルの骨や貝類がたくさん出土した。
 動物は当時の人たちの食料である。普通の遺跡では手にはいらない資料。発堀は初めから色めき立ったものだ。
 3月といっても、余寒はまだ厳しい。足の裏から、洞穴の湿った冷気が、ジーンとはい上がってくる。一人がシカの門歯を取上げた。「おい、これは人間の歯かい」「シカだよ。人間の歯にそっくりだが、よく見ると違う」。別の一人が口をはさむ。「人間の歯数のって何枚だい。64枚と書いた本があったぞ」
「バカ、それじゃ往復だ。お前の歯は2列か。そのうち人骨が出たら勘定してみろ」
 てんやわんやのうちに、最初の人骨が飛出した。が少々おかしい。
 人骨の発堀は手間がかかるし、結構むずかしい。まず、人骨ののびる方向を見定めなければならないし、もろくなった骨をあんまりていねいに堀りすぎると、計測に必要な部分を崩してしまう。
 出てきた骨は幸い頭蓋である。だが、方向を見定めて堀り広げても、四肢骨が出てこない。ひからびたカンピョウのような頭骨が3つ並び、回りに手足の指の骨や、折れた骨が散らばっているだけである。
 頭蓋を持上げてみると、顔面頭蓋も下顎骨もない。顔がないから、歯の勘定などできるわけがない。骨が集っている様子は、人骨のはきだめさながらだ。
 土層は縄文式前期(約6000年前)。おそらく改葬のために骨を集めたのだろう、ということで一応おひらきにした。
 それにしても変だ。どうして顔面やあごの骨が無いのだろう。手足の骨が足らなすぎる。ほかの骨が腐っても、一番あとまで残るはずの歯もない。
 もしかしたら―と疑いもあったが、これは人類学の検査にまかせるのが筋である。写真と図面に収めて人骨はビニール袋にいれられた。
 3日ばかりして、この下の土層から、屈葬になった若い男性の完全人骨が出た。ニュースバリューがある。ワッと騒ぎが大きくなった。
 このあと、日本列島で一番古いといわれる土器が出た。古い石器も見つかった。相次ぐ新発見の興奮と、新聞社の報道合戦の谷間で、ビニール袋の人骨は、ひっそりと忘れられていた。
 それから半年―私たちは新潟大学の解剖学教室にいた。出土した人骨を、小片教授に調べていただくためである。
 話題は縄文早期の屈葬人骨が中心である。早期人骨の発見例はまれで、人類学者が興奮するのも、無理はない。
 このあと、つけたりで、ばらばら人骨の件をお話しておいた。食人の可能性については「よく調べてみましょう」という返事たった。「ネズミがかじったあとかもしれないな」という教室員もいた。
 それからまた半年―― ヨーロッパから帰ってきたばかりの小片さんから、役所に電話がかかってきた。かなりうわずった声である。
「やっばり食人でしたよ。はっきりした痕跡がある。すぐレポートを送ります」。
 間もなく送られてきた報文に、拡大写真がついている。後頭骨の大写しで、鋭利な刃でつけた切傷が、横に数条走っている。首の筋の付着部分を切断した跡だ。人を解体した証拠である。
 食料にした動物の骨には、関節の周囲や筋の付着部分、肩脚骨の突起の下などに、この切傷のあるのが普通だ。
 同じものを、人骨にみた。あんまり気持のよい写真ではなかった。食べられた人は、若い成人の女性3人、乳幼児が2人、とレポートに書いてあった。
 先史時代の食人は、世界共通の歴史事実である。東アジアでは、ワイデンライヒの報じた北京人類、アンダーソンの書いた沙鍋屯洞穴人、近世の日本では、天明大飢饉(ききん)の食人を、菅江真澄が記録している。アンデス山中の飛行機事故による食人が、ついこの間報ぜられた。
 極限にたつと、人間は、昔から進歩していない一面を、暴露してしまうものなのだろうか。
http://www.ooyaji.jp/

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