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篆額と自虐

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埊宔神社(額束)――大分県国東市国東町興導寺

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上の地図は、2006年3月末に... 上の地図は、2006年3月末に近隣四町合併で誕生した国東市になる前の古い時代。縦に走る国道213号線および東側に路線バス停留所の名でもある「国東警察署」があることは同じでも、現在は地図の中心西側に総合ホール「アストくにさき」と国東市の新庁舎がそびえている。
 あら、じっちゃま、お久しぶりね。

 そうとも、九州で仕事があって住み込みで働き続けていたからね。そうしたおり君から、大分県のある神社で則天文字「埊」が使われている、って一報をうけたんだよね。

 そう、大分空港がある国東半島でよ。母がその国東町で高校卒業まで暮らしていたの。わたしにとっては縁遠くなっていた場所だけど、空港にも「大分←→国東」のあいだの路線バスが停まるんで、ちょっと時間を取って一人で終点「国東」バスセンターまで乗って散策してきたの。

 それなら国東町で一番大きな「櫻八幡」っていう神社に違いない、って勘ぐったわけ。なにしろ、ほかの地域とはちがって、大分県の北東部は、石でできた鳥居の左右の柱に、文字が刻されている地域だからね。で、仕事休みの日に櫻八幡まで調べに行って、境内社を含めたくさんある鳥居をしらみつぶしに観察したんだけど、天地の地に該当する「埊」なんて発見できず!

 あら、その「櫻八幡」社じゃなくて、そこから数分、南のほうに歩いた別の小ぶりの神社で発見したのよ。言ってなかったっけ。

 ちゃんと聞いてなかった。というより、君から写真でもメールに添えて送信してくれりゃあ、すぐわかったのに。

 残念でした。物知りのじっちゃまだから、すぐわかると思ったけどねぇ。

「櫻八幡」のそば、親不孝どおりとか言われた飲み屋街が、さびれてしまったことぐらいは、見回って実感してたけど、近くの神社すべてを注意深く見て回ってはいなかったからねぇ。そこで、やたら歩き回って探すよりは、得意の文献調査で、あたりをつけ直そうとしたんだ。地元の同人誌のような、B5判での不定期刊行物なんだけど、1998年に出た
 「くにさき史談」第6集に「国東町の鳥居」
という特集が、多くのページを割いて載っているんだ。

 雑誌そのものを手に入れたの?

 いや10数年前にコピーして、綴じずにどこかに重ねてただけ。あらためて「国東地域」で52を数える、鳥居の報告を確かめたぞ。

 最後のほう、45から52までが鶴川というところの「桜八幡」の鳥居ね。

 そう。その前、41から44が興導寺というアザナだけど「地主社」の鳥居を報告していた。

 それよ! 私が見てきたのは。

 だろうね。「くにさき史談」第6集34ページ、国東地域の「42.地主社」だと、あたりをつけて再度、探訪!

 その時、コピーした文献の一部分と、ようやくたどりついて写してきたのを組み合わせたのを、このブログの記事に掲げたわけね。

 ということ。鳥居の上部の「額」の部分、「埊宔神社」とあるのが、君による大発見、ってわけね。

 地主だけじゃなくって、続く「神社」のほうも篆書風の隷書なのか、異体字なのか、すごいでしょ。

「くにさき史談」では、通常の字体に直してあるけどね。大正八年(一九一九)に、そこそこ漢字の字体について見識を有していたかたが、これを作らせたんだろうね。

 ついでに、鳥居の左右の柱に彫られた銘文にも注目してょ。

 それは記事を別にして考えようょ。地元の史談会によるご労作も、きっちり判読しているとも思えないんだ。

 あら、返り点まで添えて、そこそこわかりやすいんじゃない。

 元の鳥居、というより石造物に刻されることなんかない「一・二」点、加わってるよね。漢文というものには返り点が添えられなきゃならない、っていう固定観念に縛られた世代の方々の「ご労作」かなぁ。

 そこより漢字の判読に、イチャモンつけたいんでしょ。

 そう。特に「神意」とされた箇所! 右下も「神慮」と読んだほうが、左の柱の「冥助」と韻を踏みそうなんだ。

 じゃあ、鳥居銘に刻された漢字は、もう少し字体のお手本を調べてくださる、ってことで、またよろしくね。

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