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合氣道練心館 館長所感集

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  • 新垣結衣さん、星野源さん、来館!!!

新垣結衣さん、星野源さん、来館!!!

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 合氣道練心館の平成28(2016)年最大のニュースと言えば、9月21日(水)に、女優の新垣結衣さんとミュージシャンで俳優の星野源さんが来られたことです。

 と言っても、残念ながら合氣道を習いに来てくれた訳ではなく、飽くまでもTBSドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』のロケで、メイクや衣装替え、休憩等をするための、控室として道場を使って頂いただけです。


 ちなみにその日は、隣の町内会館を控室にして、宇梶剛士さん、富田靖子さん、石田ゆり子さんといったベテランの錚々たるメンバーも揃い踏みでした。

 練心館の30数年の歴史の中で、これ程までに有名な方々が集結したのはもちろん初めてのことです。


 ロケ当日のお昼休憩の時間、道場では、当時まだ発売前だった星野源さんの新曲『恋』の「イントロ/アウトロ部分だけ」といったような、「曲の一定の部分」だけが何度も何度も繰り返し流されていました。

 これは今になって判ることですが、道場の鏡の前で、お二人で「恋ダンス」の練習をしていたのでしょう。

 ドラマのエンディングで毎回流れた通称「恋ダンス」は、今や大ブームになっていますが、新垣結衣さんと星野源さん御本人たちが「恋ダンス」を踊った「武道の道場」というのは、世界で唯一、うちだけではないかとちょっと自慢です・・・。



 そんなご縁があったので、ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』は、毎週欠かさず視ていました。
 正直に申しまして、民放の連続ドラマを毎週欠かさず視ることは、自分でも何年振りか判りません・・・。

 そしてドラマを初回から視ていく中で、今回はどうも、もっと深い意味での特別な「ご縁」があったのではないか(?)、と驚かされると同時に、そう確信せざるを得なくなりました。



 それはちょっと不思議系、スピリチュアル系のお話になってしまいます・・・。



 私の母は、3年前(平成25年8月)に亡くなったのですが、今回、星野源さんは、天国の母からのサプライズとして(?)、ある意味、目に見えない不思議な力に導かれて(?)練心館に来られたのではないか、と思われてならないのです。



 母は、30年前に最初の「くも膜下出血」で倒れ、開頭手術を受けました。
 しかし、その時は奇跡的に回復し、お陰様でその後20年以上、特に後遺症もなく元気に過ごしていました。

 平成24(2012)年4月。
 母は再び「くも膜下出血」で倒れ、その後、2度にわたる開頭手術の末、何とか一命は取り留めたものの、植物状態である「遷延性意識障害」となってしまいました。


 実は、私には「氣」のエネルギーを使ったヒーリングができる、という特技があります。
 詳しく言うと、野口整体の「愉気」と心身統一合氣道の「氣圧療法」を自分なりに融合させたものでした。
 更に、母が倒れて後、これもまた運命的に神沢瑞至先生の「気療」に触れる機会に恵まれ、お陰様で自分でも技術が随分向上したと思っています。


 昏睡状態になってしまった母にヒーリングを行うと、奇跡的にその時だけは両目をパッチリと開けて、しっかりと物を見てくれるという現象が起きました。
 そのうち、毎週病院に行っては、ヒーリングをしながら母が好きだったドラマのDVDを見せてあげる、ということをやっていました。
 最初に見せてあげたドラマのDVDがNHK連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』で、星野源さんが松下奈緒さん演じる主人公の弟役を好演していました。


 そんな頃、星野源さんが31歳の若さで、母と同じ「くも膜下出血」で緊急搬送されたというニュースを聞き、大変ショックを受けたのです。


 そして翌年、平成25(2013)年の6月。
 母が亡くなる2カ月程前に、星野源さんがまた入院、そして再手術をするというニュースを聞き、その時は、自分の中で星野源さんと母の姿が完全に重なってしまい、本当に気の毒で胸が痛みました。
 その頃、寺社仏閣へ参拝し、母の病気平癒を祈る時は、何となく一緒に、星野源さんの回復もよく祈ったものです。
 (※実はその頃の自分は、星野源さんはてっきり重症で、後遺障害に苦しみ、もうミュージシャンや俳優として復帰するのは相当難しいのではないか?、と勝手に思っていました。)



 そんなこともあって、昨年の大晦日、NHK紅白歌合戦に星野源さんが初出場し、元気な姿を見せてくれた時は、目頭が熱くなったのを覚えています。
 それは、星野源さんがここまで元気に回復した、ということに感無量の思いだっただけではなく、ヒット曲「SUN」の歌詞が、自分には、病から回復しようと頑張る人々への応援歌であると同時に、回復せず亡くなった人々への鎮魂歌にも聞こえ、闘病中の母のことも色々と懐かしく思い出されたからだろうと思います。



 話をドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』のことに戻します。



 初回放送を視て、先ずは「面白い偶然もあるんだなぁ・・・」と驚きました。

 星野源さん演じる「津崎平匡」の住むマンションの住所が、私の実家の住所と、ほとんど一緒だったのです。
 その後しばらくは、「津崎平匡」のマンションが画面に映るたびに、小道具として電柱に括り付けられた「住所表示の青いプレート」にいつも目が釘付けになっていました。

 もちろん、ドラマに登場するのは、横浜市の実在する市、区、町をランダムに組み合わせて作ったであろう架空の住所です。
 しかし、横浜市民で地元の人ならすぐに解かると思います。
 ここで具体的に書くのは控えますが、ドラマに出てくる住所は、番地が若干違うだけで、何と、私の実家と誤差20m以内の場所でした。



 第2話を視て、「これはもしかしたら、ただの偶然ではなく、目に見えない世界のご縁や導きがあるのでは?・・・」と気になり始めました。

 この「津崎平匡」の住むマンションの最寄り駅という設定のロケ地が、3年前に、約1年もの間、母が人生最期の時を過ごさせて頂いた「療養型医療施設」の最寄り駅である、相鉄いずみ野線の「南万騎が原駅」でした・・・。



 そして第3話を視て、「一連の不思議なシンクロはただの偶然ではなく、天国の母からのサプライズか、あるいは、それこそ薬師如来様から頂いたご縁に違いない」と確信するに至りました。

 話の内容は、皆で山梨県の勝沼にドライブに出掛けるというものでした。
 そして甲州市勝沼町にある古刹、大善寺(葡萄薬師)が、ドラマ上大切なシーンで登場した時は、さすがに仰天しました。


 実は、平成24(2012)年に母が「くも膜下出血」で倒れて後、ずっと病気平癒の願掛けをしていたのが、この大善寺(葡萄薬師)だったのです。


 翌年8月、母が亡くなった直後にもお参りさせて頂きましたし、それ以降もちょくちょく大善寺(葡萄薬師)には参拝しており、今年も8月に行って参りました。

 大善寺(葡萄薬師)の御本尊である薬師三尊像(薬師如来坐像、日光・月光菩薩立像)は秘仏で、5年に1度10月初めの2週間だけ御開帳されます。

 平成25(2013)年10月、母の納骨を済ませてから1週間後、勝沼まで行き御本尊の薬師三尊像を直接、拝ませて頂くことができました。
 その時は、「母が無事に三途の川を渡れますように」ということと、「せめて星野源さんが元気に回復できますように」とお願いしたのです・・・。



 所で、このドラマのエンディングは、毎回、出演者の方々が揃って踊る、通称「恋ダンス」で、最後は必ず新垣結衣さんの「合掌」した姿で締め括られていました。

 そんな不思議な「ご縁」を感じていた自分にとっては、その姿が「衆生を救うために浄土から降臨された菩薩様」に見えて仕方ありませんでした。
 まさに「月光菩薩」ならぬ「ガッキー菩薩」とでも言うべき有難い御姿で、思わずこちらもそれに応えて、度々「合掌」してしまったものです。
 そう考えると、星野源さんは「SUN」に懸けて「日光菩薩」ということになるのかも知れません・・・。

 「恋ダンス」を振付されたMIKIKOさんは、この「合掌」を、恐らくはヨガのポーズや民族舞踊からインスパイアされて採り入れられたのだろう?と思われますが、「恋ダンス」がここまで人々に受け入れられたのも、「合掌」を多用した振付が、もしかしたら仏教的な祈りや救済を人々に連想させたからなのかも(?)知れません(我ながら『ぶっちゃけ寺』に出てくるお坊さんみたいですね・・・)。



 そんな訳で、今年はドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』のお陰で、忘れられない年となりました。

 しかし来年こそは、本業の「合氣道」で「今年最大の良いニュース」が語れるような、そんな年にしたいものです。



 今年も残り僅かとなって参りました。
 それでは皆様、よいお年を。
#ヒーリング #ブログ #合気道 #武術 #武道 #芸能

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