新型感染症が世界的に深刻な被害をもたらした2020年。 この年、それでもル・マン24時間レースへの挑戦を見届ける必要があった。 その回顧録を自分視点で、記憶が曖昧になる前に残しておこうと思う。 ※プライバシー配慮のため、人名等はイニシャル表記にする ※そんなもん、いまどき検索すれば出てくるだろうが・・・ -・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・- 【序章-2】 趣味的なバイクや乗用車ではなく、晴れてピュアレーシングマシンでのサーキット走行デビューした、この話の主人公Y氏。 長身の大柄な体格をドライビングポジションの改修で克服して、ようやくサーキットをアクセル全開で走れる訳だが、だからと言ってすぐにレース出場とはいかない。仮に、腕に自信のあるような、それまで公道をどんなに飛ばすヤンチャなドライバーであったとしても、タイムを競うコースは初心者にとって非情である。 タイムが正義の世界。 しかも、公道チューニングカーのように規則が無い自由競争ではない。 ピュアレーシングマシンを運転すると、自分自身の運転力が丸裸にさせられるのだ。ただアクセルを開けていれば良いわけじゃ無い。ブレーキをどう使うのか、ステアリングをどのように切り込むのか、ましてやパワーステアリングやブレーキのマスターバック、当然電子制御によるドライバーの補助などない。 ブレーキが強すぎれば容易くロックして白煙を上げ、タイヤ表面を削り取る。アクセルコントロールが上手くなければ、いわゆる「おいしい回転域」を使えずにモタ臭くて加速に結び付かない。シフトチェンジが下手だとトランスミッションのギヤ(ドグリング)を痛め、ありがちなのはダウンシフトでオーバーレブ、最悪の場合エンジンを過回転で破損させてしまう。 想像してみて欲しい。普段乗る自家用車で公道を走っているとする。 その時のエンジン回転数はいくらだろう? 法規上のスピードで走っていれば、たいてい2000rpmからせいぜい3000rpm程度ではないだろうか?最近はタコメーターの無い車も多いが、エンジンが唸るような音では運転していないはずだ。 それが、ひとたびコースインすれば、とにかくアクセルは踏まなくてはならない。 車輛にもよるが、5500~7000、もしくは8000rpm辺りの幅で常にキープし続けなければならない。そのけたたましい音と振動に耐えながら、エンジンの本領を発揮させて走る暴力的なチカラを冷静に、適切に、前へ進むチカラへと変換しなければならない。 でなければ、サーキットを全開走行で走るレーシングスピードには乗せられない。 ましてや着座視点が1メートルも無いような状況でのスピード感や襲ってくる前後左右Gなどは、乗った者でなければ理解など出来よう筈もない。 サーキットデビューすると例に漏れず、Y氏もいざコースでの走行当初は相当に苦労されていた。 それまで色んなパワードカーやスーパーカーの運転経験はお持ちのようだったが、「正しく」加速、減速、曲がるという操作は、自己流と感覚だけでは余程の才能が無ければ地道な反復練習と、トライ&エラーでしか習得できないのだ。 と、いうことは・・・どういう事か。 コースを走る者は、その「速い遅い」は全く別として、各人自分の精一杯尽くしている。つまり、いつもそれほど余裕が無い状況、という事になる。 それが初心者であればチカラの抜き処もなく、ガチガチに緊張し、肩は張り、歯を食いしばり、ステアリングをひたすら握り締める。たいてい、バックミラーを十分に見る余裕すらも無い。 コース上でのエラー、それは即ちコースアウト、最悪はクラッシュを意味する。 乗用車であれば何てことない段差や多少の悪路走行でも、車高が高いうえに良く上下動するサスペンションが、不意の挙動やショックを吸収してくれるけれど、レーシングマシンでは簡単に床を擦り、砂利を塵取りのようにひろい、カウルなどの外装を破損する。 ちなみに、当時Y氏が乗っていた車両の最低地上高は50ミリくらいだったと思う。 これはレーシングカーとしては高い方だが、この車輛にとって規則上それ以下には出来ないという事情がある。 もし最低地上高規定のないカテゴリーであれば、18ミリや19ミリと言う数字は平気で出てくる数字である。 さて。 レーシングスピードへの挑戦で、それはやはり起こる。 大クラッシュ! 2013年当時の事なので、ちょっと詳細は覚えてはいないのだが、とにかく車がえらいことになった事だけは覚えている。 いくら安全なサーキットとは言え、激しいクラッシュを喫すれば当然、そのダメージは激しくなる。動態エネルギーが大きい証拠である。 また、クラッシュで激しく車輛が壊れたとしてもそのお陰で、物体が持つ衝突からのエネルギーを吸収してドライバーの安全を担保している、と言い換える事が出来る。 幸いにして、この大クラッシュを経験しても身体への影響は無かった。(全く無かった事は無いはずだが、普段弱味を見せないY氏は強がっていた可能性は・・ある) 激しく損傷した車輛も、レーシングマシンの凄いところは、部品があれば何事も無かったかのように直ってしまう事である。勿論、そこには修理費用という悲しい出費が付きまとうのだが。 普通、このような大クラッシュがあると、たいていのドライバーは少し走行に間を置く事になる。クラッシュによる精神的な影響・・と捉えるも、実際には掛かる修理費用のために、走りたくても悲しいかな財布がそれを許さない、となりがちだ。 が、Y氏は違った。 とにかく出来るだけ早く直して、出来るだけ早くまた走りたい。 その情熱は凄まじく、当時サーキットが発布する走行スケジュール(サーキットは、いつでも誰でも走れる訳では無い)のほぼ全てを練習する勢いで鈴鹿へ通われていた。名古屋近郊や大阪近郊ではなく、ほぼ関東と言ってよい地域からである。 しかも企業トップの身で有りながら、おそらく激務で体を労わらなくてはならないオフの時間の全てを、遠方からサーキットへ通い、ひたすら練習されていた。 いつサーキットに行ってもY氏が走行しているので、パドックトークではドライバーや関係者達のあいだでちょっとした有名人にすらなっていたほどだ。 あの謎のデカいドライバーは誰だ!?と。 〈つづく〉