汚いタイトルですみません(汗。今日、大好きな日本語幼稚園くじら学園のバザーに行った後、久しぶりに会う友だちとゆっくりお茶&ランチ、その足で皆でBOOKOFFへ。Mは朝からガールスカウトの仲間とディズニーランド(クッキーの売上金が目標金額に達成しました!)、Nのサッカーの送り迎えは夫に頼んだので久しぶりに友だちとの時間を満喫しました。
家に帰り、付き合わされてすっかり疲れたHがお昼寝してくれたので、BOOKOFFで買った寂聴さんの『寂庵説法』の“怒りについて”って項目を読もうとカウチに横になったら、
「俺たちのトイレ、最近全く掃除してないだろ!」って怒ってる人がいます
確かに。1階にあるお客さん用のトイレは人目につくからしょっちゅう掃除してるんだけど、自分たちのはつい「ま、いっか」っておろそかにしちゃってるんですよねぇ・・・。夫は、「どうして掃除のルーティンにちゃんと組み込んでないんだ!」って、またいつものように出掛けに鍵が見つからないせいもあってイライラしながら怒鳴っていますが、寂庵説法が手元にあるせいか、お腹がいっぱいで眠いせいか、いつもみたいにカッと言い返さず「どうしてこんなに怒ってるのかなあ・・・」って冷静になっちゃいました。
で、最近の自分の経験も踏まえて思ったのは「怒ってる人は傷付いている」ってこと。夫は、私がちゃんと掃除してないことを責めてるけど、本当は自分が使うトイレを綺麗にしてもらってないことに傷付いてる、つまり自分が大切にされていないと感じて怒っているのでは思ったのです。そう理解できれば、「そんなふうに思わせちゃってごめんねぇ。人目につくところだけじゃなくて、あなたが使うトイレもちゃんと掃除しなくっちゃねぇ。」って素直に謝れるような気がするのです(まだ謝ってないけど)。
『寂庵説法』を読んでびっくりしたのは、尼さんになった後も寂聴さんはあっちこっちでプンプン怒っているそう。その都度深く反省したり、直接謝ったりしているそうですが、尼さんでもそうなのかあ、怒りっていうのは人間の自然な感情なんだなあって思いました。しかし、寂聴さんがおっしゃるに、怒っているのは「自分だったら決してそうしないという気持ち」があり、そのため「相手を見下す気」があって、「相手の無知や破廉恥に対してがまんがならない」という気があるそうです。でも、その気持ちの中には思い上がりがあるとおっしゃいます。自分の中にも悪い心がまったくないかといえば、いくらでもあるわけですからね。
怒りとはまた、奥深いものであります。
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