新山口駅の通路
怒涛のごとく移動だけでも忙しかった3月も桜の開花宣言を聞き出したここ日本でちょっと小休止。
初フランス、イタリアの旅で思い出したのが、小学校卒業文集に書いた将来の夢でした。それは「外交官になりたい」今のように外の情報といえば、日曜日の朝にパンナム提供の「兼高かおる世界の旅」や短波ラジオ放送くらい。田舎育ちの僕は、広い世界を観てみたいと思う子供でした。商店街育ちとしては、商売のためにどこそこの息子とどこに行ってもわかるというか言われる事に息苦しさも感じていたのかも。
そして、その夢は大学3年まで持っていたのですが、留学中の貧乏旅行やキャンパスライフで感じたのが、外交官だけが全てではない。民間人ひとりひとりが立派な外交官だという事でした。それを思い出すパリやミラノでの親切な人々。
小雨の寒いバス停で出勤途中で急いでいるのにスマホでバスの乗り換えを調べてくれたパリジェンヌ。ミラノで降りるバス停わからず乗っていたら、席からわざわざ出て来て、ここで降りろと教えてくれた運転手などなど。
学生時代、外交官から一挙に国際ビジネスに世界に縁があって飛び込んで今の自分があります。そういう想いもあるからか、武術を通して民間外交のモノマネみたいなボランティアを続けています。その思いが今度は日本刀のような伝統工芸存続に想いが広がりつつあるのですが、現実は遅々として進まず・・・でも諦めず、凡庸に続けるだけかと。
なぜ続けるのか?なぜ続くのか?
それは、想いというか情熱でしょうね。
簡単にいうと結婚生活と同じではないでしょうか(笑)
ふるさとはそんな裸の自分というか幼い頃を思い出させる不思議な力を持っていますね。
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