”引き寄せの法則”への挑戦 : 神とは?
1月
9日
「人生は苦行ではない。我々は幸せになるために生まれてくる」
なるほど。。。
“何のために我々は生まれてくるのか?“
10年前に最初の妻と死別してから、私はこの質問への答えを探してきた。
どうせ死んでしまうのに、なぜ生まれてくるのか?
楽しそうな人生を過ごす人もあれば、ずっと苦労の連続で終わる人もいる。
「何のために人生はあるのか?」
この問いへの答えを追求して行くと、「神」という存在無しに考えることはできない。
“引き寄せの法則への挑戦“についてブログを書き始めたとき、いつかこのテーマに触れなくてはならないことは予期していた。それと同時に、とてもセンシティブなことだけに、自分の考えをこういった場で書くことにためらいはあった。
私は特定の宗教を信仰していないが、神の存在は信じている。
私の信じる神は、
全知全能、すべてを知り、すべてを行う存在
この宇宙に存在する、見えるもの見えないもの、全ての総合体
我々ひとりひとりをなんの分け隔ても無く、無条件・無償で愛してくれる存在
我々へ選択の自由を与え、間違いを犯そうが、失敗をしようが、そのままを受け入れてくれる存在
怒り、悲しみ、嘆きなど、人間レベルの次元の低い感情はなく、高次元の“愛”だけの存在
私は、“悪魔や地獄”という不安や恐怖を植えつける存在は人間が作ったものだと思っている。
また、“自分の宗教の神が本物で、他の神は偽物”という排他主義は信じていない。
“不安や恐怖”、また“排他(他との違い)”は人間レベルのことであり、全知全能の神が提唱するはずがない。
私は宗教を一切否定していない。
個人的にも沢山の尊敬する宗教家たちを知っているし、師と仰ぐ先生方もいらっしゃる。
宗教によって多くの人々が救われているのは紛れも無い事実。
同時に神の意図を外れた“不安や恐怖”“排他”を提唱する一部の宗教によって、多くの争いが繰り返されているのも歴史が物語っている悲しい事実。
宗教は人間が作ったものであり、神が創ったものではない。
神は、何を信じようが信じなかろうが、すべてのものを同等に愛している。
自分の蒔いた種は自分で刈り取る。”原因“があって”結果“がある、という「因果応報」は宇宙の法則として存在する。これは、神のルールに従わないものは地獄へ落ちる、とか、天罰が下る、という恐怖を与えるものとは根本的に異なる。
神は、この瞬間も我々ひとりひとりを無条件に愛し、我々の希望(=潜在意識)をかなえるために惜しみないサポートを提供してくれている。
「人生は苦行ではない。我々は幸せになるために生まれてくる」
“神は我々が幸せになることを願い、いつもサポートしてくださっている”とは、なんと力強いことだろう。
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