もの言う牧師のエッセー 第382話
もの言う牧師のエッセー 第382話
ジミー・カーター前篇「 その宣教師外交 」
ジミー・カーター前篇「 その宣教師外交 」
この人ほど大統領、いや政治家を辞めてから輝いた人を私は知らない。昨年末に100歳で死去した第39代米大統領、ジミー・カーター氏である。ちなみに歴代米国大統領で100歳に達したのは彼一人だけだ。
70年代のウォーターゲート事件とベトナム戦争敗北の暗澹たる空気の中、人権外交と理想主義を掲げ、「私がウソをついたり誤解を招くような発言をしたりしたら、私に投票しないでください」などと誠実さを前面に押し出す爽やかさで当選したものの、彼の任期は冷戦時代の激動期と重なり、ソ連のアフガニスタン侵攻に加え、イラン大使館人質事件とその救出作戦失敗により「弱腰」と叩かれ、国内ではインフラに翻弄されて再選を目指した80年の大統領選で大敗を喫し、“やさ男”のイメージが定着したかに見えた。大統領と州知事を各一期ずつしか努めなかった。しかし、退任後の43年間がスゴイ。
退任後のある日、ニューヨーク市をジョギング中、貧困層に住宅を提供する国際NGO「ハビタット・フォー・ヒューマニティー」の建設現場でボランティアたちが立ち働いているのを見た彼は、ロザリン夫人とハンマーを持参し参加する。以来カーター夫妻は毎年同団体の活動に参加し、2008年の「ハリケーン・カトリーナ」、2010年のハイチ地震などでも汗を流し、計35年間に約10万8000人のボランティアと共に活動し、建設・修理した住宅は4000軒以上にもなった。95歳になった2019年には、テネシー州ナッシュビルでの活動時に頭部を負傷、「14針縫ったんだ」などといつもの“カーター・スマイル”で周囲を沸かせた。
いっぽうで、自らはNGO「カーター・センター」を設立し、民間外交を開始。精力的に紛争調停、人権擁護、疾病対策、選挙監視などで世界中を奔走、携わった国は80を超え、94年には北朝鮮を訪問し故金日成主席と会談、米朝枠組み合意への道筋を付けた。北朝鮮には2010、11年にも再訪、2017年のトランプ前政権でも北朝鮮への特使となることを申し出るなど、現地に自ら足を運んで平和を説こうとする姿は、クリスチャン信仰とも合わせて「宣教師外交」とも呼ばれ、2002年にはノーベル平和賞を受賞。“元大統領”としての特権と責務を大いに発揮し、政治家としても非凡さを示した。
日本とも縁が深く、大統領経験者として初めて被爆地・広島を訪れ慰霊碑に献花。同じ頃、知事時代にYKKのファスナー工場を地元アトランタへ誘致したことをきっかけに交流があった富山県黒部市のマラソンイベントに参加、市民に混ざって完走し、周囲から大きな拍手が巻き起こった。黒部市は、これをきっかけに大会名を「カーター記念黒部名水マラソン」と改め毎年開催、今年で42回目という。さらに1990年、貧しい農家から一躍ピーナッツ栽培で成功した過去を持つ彼は、広島県 甲奴こうぬ 町(現・ 三次みよし市)を訪れ、自らの農園で栽培していたピーナツを町に提供、その後、立派に育まれ今では「カーターピーナッツ」という名の特産品になっている。
講演料は受け取らず、年金とベストセラーを含めた著作の印税が収入源。30代に建てたフツーの家に暮らし、晩年まで教会の日曜学校で教え続けた。彼は言う。「自分に才能があるなら他者のために使いなさい。イエスの教えの一つです。」
キリストも言う。
キリストも言う。
「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」
マタイの福音書22章39節
2025-1-25
マタイの福音書22章39節
2025-1-25