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もの言う牧師のエッセー 再投稿 

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もの言う牧師のエッセー 再投稿 
第328話「 不倫報道 」
 
  先月の9日、作家の瀬戸内寂聴氏がNHK「あさイチ」に生出演し、昨年から世間を賑わせている週刊誌の不倫報道について一石を投じた。もともと彼女は「最近、週刊誌を開けたらだいたい不倫の話。私なんか不倫随分しましたけど、どうってことないの。一つしても二つしても似たようなもんよ」などど言いたい放題の観があるが、スタジオで改めて不倫について聞かれると「不倫はしようと思ってするのではなく、雷のように落ちてくる。当たったら仕方がない」とあまりに的を得たコメントに思わず唸った。
 
週刊誌に関しては、「ちょっと書き過ぎね。あんなに言わなくったって。書く人だってやってるんです。」スタジオは大爆笑だったらしいが、あながちジョークだけで片付けられない重要なポイントがいくつかあり、「不倫」を「罪」と置き換えれば分かりやすい。
 
まず、“不倫と落雷”であるが、これだと己の間違いではなく“事故”になってしまい、間違いが自然に起こったかのようで、言わば自分は受身であり、“運命”という見方もでき、日本人の無責任な罪観が良く出ている。次に、“書く人だってやっている”であるが、言うまでもなくゴシップとは、他者の欠点のあら探しで自尊心を満たすことだが、厄介なのは己の正すべき欠点を見逃すことだ。そうして自分の罪には寛容で他者には厳しい愚かな社会が増幅していく。
 
寂聴氏の発言は、平等に落ちた雷のごとく、平等に罪に墜ち難儀する人間を正確にとらえる一方で、もはやニヒリズムかペシミズムが漂うお手上げのイメージが拭えない。だが救いはある。ズバリ己が救いようのない罪人であると十字架にかかったイエスに対し認めることだ。そうした者にイエスは、“一つや二つ”どころか何百万と繰り返してきた罪を棒引きしてくださるのだ。そして
 
「今後わたしたちは、互にさばき合うことをやめよう。
 むしろ、あなたがたは、妨げとなる物や、
 つまずきとなる物を兄弟の前に置かないことに、決めるがよい。」 
        ローマ人への手紙14章13節:口語訳、
 
と勧める聖書の諭しが、単なる教えではなく現実なものとなって行く。  
2018-3-23  

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