もの言う牧師のエッセー 再投稿
第310話 「 ダルの恵み深い対応 」
試合に負けはしたが、ドジャースのダルビッシュ有投手がワールドシリーズ(WS)で見せた寛容な態度に対し全米が賛辞を送った。WS第3戦の2回、相手のアストロズのユリエスキ・グリエル内野手がダルビッシュから先制ソロを放った後、ベンチで目尻を指で押さえて目を細くし、スペイン語でアジア人の蔑称「chinito(中国人の少年の意)」と口にした。この様子はテレビに映し出され、SNSで「明らかな人種差別だ」として拡散され瞬く間に全米に広がった。
よりによってWSの真っ最中、グリエルにごうごうたる非難が巻き起こる中、ダルビッシュが試合後にツィッターに載せたコメントに全米が驚いた。「パーフェクトな人間はいない。あなたも僕もそうだ。彼が今日やったことは正しいことではない。けれども、僕は彼を非難するよりも、学ぶように努力するべきだと信じている。ここから何かを得ることができればそれは人類にとって大きな一歩になる。僕たちは素晴らしい世界に暮らしている。ポジティブであり続け、怒りに集中するのではなく前進したい。僕はみんなの大きな愛を頼りにしている。」
NBCスポーツは「He reacted “graciously”.(彼は“恵み深い”対応をした)」と絶賛したが、正にそれはキリストの福音そのものを想起させる。なぜなら、恵みとは自分には受ける資格のない良いものを受けることだからだ。イエスの弟子パウロはかつて教会を迫害し、さんざん人を危めたが、
「神の恵みによって、私は今の私になりました。」
第一コリント人への手紙15章10節、
と言っている。キリストを信じるというのは宗教に凝ることではない。彼の恵みの中に生きることである。なぜなら誰一人として自分を自分の罪から救える者はいないからだ。ちょうどグリエルが自分を救えずダルビッシュが彼を助けた結果、WS出場停止の裁定を免れたように。キリストを心に迎えた者は、彼の恵みの力によって怒りではなく寛容さを示し、非難するより学ぶ努力することが出来る。そうする者が増えることによってのみ愛が増幅し、世の中はポジティブで素晴らしいものとなっていく。 2017-11-24