もの言う牧師のエッセー 再投稿
第305「 さようなら カッシーニ 」
20年前に米欧共同で打ち上げた無人探査機カッシーニが、13年間にわたった土星や衛星の観測を終え、日本時間15日午後7時半頃、最後の信号を発信して土星の大気圏に突入し燃え尽きた。探査で送られて来た画像は45万枚以上。着陸機ホイヘンスを最大の衛星タイタンに送り込み、液体メタンの海や、雲、雨といった現象もあることを観測。さらに衛星エンセラダスが表面の氷の割れ目から噴出する蒸気の観測は、多くの人々を驚かせた。
機械を擬人化し感情移入するのは日本人の特徴などと揶揄されるが、なかなかどうして、20年間の労をねぎらい別れを悲しむ声が世界中から湧き上がった。英BBCと米ニューヨーク・タイムズが「衛星タイタンにさよならのキス 」とセンチメンタルな記事を載せれば、NASAのエンジニアたちも「グッバイ・キス」と別れを告げた。「10年以上、毎月のようにタイタンとランデブーしてきた。ほろ苦いさよならだが、行くべきところへ導く」。とはプロジェクト責任者の弁。
かつて「はやぶさ君が死んでしまうのはいや」と泣いた小学生がいたが、「カッシーニが大好き。行ってしまうのが悲しい」とNASAに手紙を書いた6歳の男の子もいる。だが、たかが探査機、たかが20年でコレならば、太古の昔から現代まで、今や70億以上となった人類を導いてきた神の気持ちは如何ばかりであろうか。人が造ったカッシーニは人間に忠実にミッションを果たしたが、神が造った人間は自由意志を持ち、おのおの自分勝手な道を進み迷い出てしまい、今や滅びの炎の中へ突入しようとしている。
「わたしは悪者の死を喜ぶだろうか。
――神である主の御告げ。――
彼がその態度を悔い改めて、
生きることを喜ばないだろうか。 」
エゼキエル書18章23節、
と今日も神は涙ながらに叫んでおられる。それだけではない。御子であるキリストを送り、我々が燃え尽きてしまうのを防ぐ道も用意された。愛である神は、私たちのことが大好きで、行ってしまうのが悲しいから。
2017-10-7