もの言う牧師のエッセー 再投稿
第304「 79歳女性が800馬力のマシンを駆る 」
昨年の厚労省の発表によると、100歳以上の高齢者は全国に6万5692人。これは人口10万人当たりの人数は世界一。 1963年には153人だったのが2012年には5万人を超え、そのうち9割弱が女性、毎年4~5000人ずつ増えている。で、今年72歳となった元「週刊現代」編集長の元木昌彦さんのボヤキが面白い。
「この年になって一番困るのが『短気』になったことだ。それも自分に腹が立つ。ペットボトルの栓が開けられない。背中に膏薬が貼れない。靴下がはけない。平坦な道を歩いていて転びそうになる。いちいち腹が立つ。情けない。だが、全て自己責任。」
佐藤愛子氏の「九十歳。何がめでたい」が売れているが、書かれているのは老いの苦しみや愚痴ばかりだそうで、やはり体の衰えをボヤキつつ「これは誰にいっているのか。自分にか?神さまにか?わからない。ついに観念する時が来たのか。かくなる上は、さからわず怒らず嘆かず、なりゆきに任せるしかないようで。ものいわぬ婆ァとなりて 春暮るる」。さすが論客らしくウマイこと言う。
しかし、その辛辣さがかえって、79歳のアイルランドの元ラリー・レーサーの女性、ローズマリー・スミスさんが、何と800馬力のF1マシンをドライブしたという2ヶ月前の記事を思い出させてくれた。現役時代は多くの性差別を受けながら何度も表彰台に上がり勝利を収めた彼女は、引退後はルノーのレーシング・スクールを始め、若いドライバーの育成にあたっているというから驚く。「現代のF1マシンをドライブした最高齢の人物」という記録も作ってしまった。
聖書には活躍する老人が大勢いる。派手な人もいれば地味な人もおり、また、皆が安康というわけではない。しかし彼らには老いこそが持つ力強さが見え隠れする。生まれたばかりの幼子イエスに出くわした2人の高齢者はその典型だ。
「エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。聖霊が彼の上にとどまっておられた。また、主のキリストを見るまでは、決して死なないと、聖霊のお告げを受けていた。(中略)また、アセル族のパヌエルの娘で女預言者のアンナという人がいた。この人は非常に年をとっていた。処女の時代のあと七年間、夫とともに住み、その後やもめになり、八十四歳になっていた。そして宮を離れず、夜も昼も、断食と祈りをもって神に仕えていた。」
ルカの福音書2章25-38節。
神を信じ敬い、人を愛し助け、地道に天の希望に向かって日々を生きてきた2人の老人は、人生最後になって神の御子を腕に抱いた。何の変哲もない日に。結局のところ、人生とは日頃の行いの積み重ねである以上、人の生き様とは死に様と言ってよい。まっすぐに神を信じる者は、もの言わぬ爺ィや婆ァになって暮れるどころか、賛美が爆発し、春はそこから始まる。
2017-10-2