もの言う牧師のエッセー 再投稿
第224話「 ピシオットさん永眠 」
1981年から35年間、米ホワイトハウス前で反核運動を続けた小柄な女性、コンセプション・ピシオットさんが、1月25日、80歳で亡くなった。米紙は「米国史上、最長の政治的な抗議活動」と伝えた。スペインからの移民で、離婚して養子の娘の親権を失い、失意のどん底の時、反核活動家の米国人男性と出会う。「自分の子供のためには何もできなかったが、せめて世界の子供たちを破壊から守る活動をすべき」と決断。この世界に身を投じ二人きりの運動が始まった。
“運動“と言っても、核兵器超大国の大統領が住むホワイトハウスの真向かいに、ビーチパラソルと被爆地の写真を張った立て看板があるだけ。支援者宅での入浴など以外は、ほぼそこにいた。2009年に相棒の男性が他界した後も変わらず運動を続けた。
実は私は、今から約20年前の夏に妻を乗せてオートバイで米国1周旅行をした際、この場所で彼女に会った。同地域は、議事堂のほかスミソニアン博物館やFBI本部などの連邦ビルが立ち並び、緑が少なく休めるような場所がない。夏の日差しがコンクリートではね返り、うだるような暑さの中、記念撮影を楽しむ観光客らに向かって核廃絶を呼びかける彼女の姿は、被爆国出身の私には嬉しかった。そして、あれから20年以上も続けたことに心から「スゴイな」と思う。
「我々がみんなでやるべきことを彼女はやっていたんだ」と話す広島平和文化センター前理事長のスティーブン・リーパーさんは、ワシントン出張の際に広島市からの感謝状を手渡したこともあるという。
「あなたがた自身が知っているとおり、この両手は、私の必要のためにも、私とともにいる人たちのためにも、働いて来ました。このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである。』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」
使徒の働き20章34-35節。
これはイエスの弟子パウロが、殉教前に友人らに語った別れの言葉である。27巻ある新約聖書のうち13巻は彼が執筆した。また、西アジア一体に教会の巨大ネットワークを築き上げるなど聖書中で最も仕事した男である。しかし彼は手に職をつけ、教会から給料を貰わず、いわばボランティアで彼の仕事を続けたのだった。
そんな彼も若い頃は乱暴な人間だった。生活もすさんでいたに違いない。ピシオットさんのように家庭が破綻したり、或いは仕事が立ち行かなくなったりして教会を訪ねる人は多い。つまり教会とは優秀な人間の集まりではない。十字架にかかったキリストの前に己の無力を認め、キリストを救い主と信じた後は、最後まで愛すべき人々のために働く人々である。 2016-3-11