もの言う牧師のエッセー 再投稿
第204話「 ローマ法王の訪米 」
ローマ法王フランシスコの訪米と、それに伴う米社会の熱狂ぶりには驚かされた。9月22日、米首都ワシントン近郊のアンドルーズ空軍基地に専用機で到着した彼を、オバマ大統領、バイデン副大統領の2人が直々に出迎えたが、正副大統領がそろって空港に要人を出迎えたのは史上初めてのことだ。
23日にはホワイトハウスで国賓待遇の到着式典、24日には米議会で演説、そして25日、ニューヨークの国連では、バチカン法王庁公用語のイタリア語ではなく母国語であるスペイン語で演説、その合間を縫って貧しい移民やホームレスと会見。そして国連演説を終えた後にマンハッタンの米中枢同時テロ跡地である“1 ワールドトレードセンター “を訪れ、キリスト教諸派、ユダヤ教、イスラム教、仏教、ヒンズー教、シーク教の代表約10人とともに演壇に立ち、「言語や文化、宗教の多様性に基づく結束を築きあげなければならない」と訴えたのは圧巻だった。その後、彼が訪れたセントラルパークには8万人の人々が集結、さらに27日、フィラデルフィアで開かれたミサの入場券1万人分はネットで予約受け付けが行われたが、開始からわずか30秒で完売。
さすがツィッターのフォロワー数が約2300万人、CBSが「ネットの世界で最も影響力のある指導者」と評し、CNNが「ロックスター」などと形容する男は格が違う。「法王が現れた時は救われた思いがした」と語る若い女性も。だが、法王が良い人間であろうがなかろうが、人が熱狂しようがしまいが、聖書が言うゴスペルとは全く無関係である。問題は、新約聖書の書簡の多くを執筆したイエスの弟子パウロが、
「あなたがたのために十字架につけられたのはパウロでしょうか。」
第一コリント人への手紙1章13節
と言うように、「神であるキリスト・イエスが我ら一人ひとりの救いのために何をしたか」 である。政治的、宗教的、社会的評価や世界平和などは、これまで幾多のリーダーたちが目指したものであるが絶対に実現することはない。
聖書の最終章であるヨハネの黙示録12章から19章には、平和の旗印のもとで起こる大宗教連合と、世界が一つになった “1ワールド“ の後の破滅が描かれている。この度の法王来米とその狂騒ぶりを見て、「審判の日」であるキリストの再来を改めて畏怖せずにはいられない。
2015-10-20