もの言う牧師のエッセー 傑作選
もの言う牧師のエッセー 傑作選
第190話「 JR福知山脱線事故から10年 」
107人が死亡、562人が負傷した尼崎JR福知山線脱線事故から10年がたった。
この事故で妻と妹を亡くした浅野弥三一さんは、それ以来、「事業者の体質を変える先頭に立つことが被害者の責務」という思いを胸に長く険しい道のりを歩んで来た。 過密ダイヤ、自動列車停止装置(ATS)の不備、厳罰主義の研修など、JR西日本の企業体質が事故の背景にあるとされたが、国の調査や捜査も被害者の期待する真相究明には程遠い。ならば、被害者自らが努力して答えを見いだすほかはない、と浅野さんらは考えた。
事故の事情を最も知るJR西日本に、同じテーブルで議論する場を求め、包み隠さず説明してもらう為に、恨みと責任追及を封印し、加害企業と共に安全を追い求める道を選んだのだ。そして、心理学者ら有識者も加わり、幾度も開かれた円卓会議における遺族らの切実な努力の結果が実り、JR西日本の安全への姿勢に変化が現れ始め、ついに彼らは事故が運転士個人の問題ではないことを認めたのである。
今年4月、JR西日本は脱線事故から10年を迎えるのを前に、安全監査に第三者機関の評価を受ける仕組みを導入すると発表。遺族らと加害企業のコラボという前代未聞の検証会議の提案が形になった意義は非常に大きい。
聖書には、自らを十字架にかけて拷問殺害しようとする人々に対して、
「父よ。彼らをお赦し下さい。
彼らは、何をしているのか自分で分からないのです。」
ルカの福音書23章34節、
と十字架上で父なる神に祈りを捧げたイエスの姿が記されている。不条理や不義理、怒りや恨み。これらに足を取られ身動き出来なくなる人は多い。そんな時は、神に背いて堕罪した人類に対し、責任追及ではなくまず己を犠牲にして事態を打開したイエスを思い出そう。彼が山を動かし、前代未聞の解決へと導いて下さるから。
2015-6-26
第190話「 JR福知山脱線事故から10年 」
107人が死亡、562人が負傷した尼崎JR福知山線脱線事故から10年がたった。
この事故で妻と妹を亡くした浅野弥三一さんは、それ以来、「事業者の体質を変える先頭に立つことが被害者の責務」という思いを胸に長く険しい道のりを歩んで来た。 過密ダイヤ、自動列車停止装置(ATS)の不備、厳罰主義の研修など、JR西日本の企業体質が事故の背景にあるとされたが、国の調査や捜査も被害者の期待する真相究明には程遠い。ならば、被害者自らが努力して答えを見いだすほかはない、と浅野さんらは考えた。
事故の事情を最も知るJR西日本に、同じテーブルで議論する場を求め、包み隠さず説明してもらう為に、恨みと責任追及を封印し、加害企業と共に安全を追い求める道を選んだのだ。そして、心理学者ら有識者も加わり、幾度も開かれた円卓会議における遺族らの切実な努力の結果が実り、JR西日本の安全への姿勢に変化が現れ始め、ついに彼らは事故が運転士個人の問題ではないことを認めたのである。
今年4月、JR西日本は脱線事故から10年を迎えるのを前に、安全監査に第三者機関の評価を受ける仕組みを導入すると発表。遺族らと加害企業のコラボという前代未聞の検証会議の提案が形になった意義は非常に大きい。
聖書には、自らを十字架にかけて拷問殺害しようとする人々に対して、
「父よ。彼らをお赦し下さい。
彼らは、何をしているのか自分で分からないのです。」
ルカの福音書23章34節、
と十字架上で父なる神に祈りを捧げたイエスの姿が記されている。不条理や不義理、怒りや恨み。これらに足を取られ身動き出来なくなる人は多い。そんな時は、神に背いて堕罪した人類に対し、責任追及ではなくまず己を犠牲にして事態を打開したイエスを思い出そう。彼が山を動かし、前代未聞の解決へと導いて下さるから。
2015-6-26