もの言う牧師のエッセー 傑作選
第188話「 ホンダジェット 」
4月末、ホンダが米国で開発した小型ビジネスジェット機「ホンダジェット」が日本上空を初飛行し羽田空港に着陸した。ホンダが1962年に航空機への参入を宣言してから半世紀余りで「本田宗一郎の夢」がついに実現したのである。だが、ホンダの航空機開発に関しては、“あの男”を抜きに語れない。東大航空学科を卒業後、中島飛行機で、世界でも数例を除いて実用化していなかった日本初のジェットエンジン「ネ130」を、驚くほど短時間で開発した中村良夫である。
彼は、戦後のGHQ(連合国軍最高司令部)による航空禁止令により職を失い、実家で農業をするなどしていたが、1958年、38歳でホンダへ中途入社する。社長面接で、一回りも年上の本田に向かって中村は開口一番「世界のホンダになるつもりなら、四輪を生産し、さらにF1グランプリの舞台を目指すべきだ。私はオートバイだけのホンダに入社する気持ちはありません!」と言い放ち、すかさず本田社長は「出来るか出来んかオレにはわかんねえけど、俺はやりてえよ!」と応じたのだ。
その後、中村はホンダの4輪開発を手がけるいっぽう、64年からF1に参戦、マシンの設計責任者、チーム監督、マネージャー、メカニックとして一人四役で指揮を取り、F1参戦後わずか2年で初勝利を飾り世界の度肝抜いたのだった。日本のトップメーカーであるトヨタや日産が国内の自動車レースに甘んじていた時代にである。
その後も彼は“オヤジ”である本田にズケズケ物言うため度々衝突しつつも、自流を通したことは日本産業史上の伝説とまでなっている。いっぽうで彼は、「ホンダのオヤジに雇ってもらったのは本当に良かった」とも述懐していた。
実は聖書にも似たような人物が登場する。イスラエルの先祖ヤコブは、何と神様と取っ組み合いのケンカをしたのだ 。
「 ヤコブはひとりだけ、あとに残った。すると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。するとその人は言った。『わたしを去らせよ。夜が明けるから。』しかし、ヤコブは答えた。『私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。』その人は言った。『あなたの名は何というのか。』彼は答えた。『ヤコブです。』その人は言った。『あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれ
ない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。』
創世記32章24,26-28節、
とあるように、人の姿で地上に降り立たった神(後のキリストの予表)に臆することなく向かって行き、かえって祝福をゲットし、ヤコブ(だます者)の名を返上し、イスラエル(神の戦士)と言う名をいただく。行動力はあるが人を押しのけて来た結果、にっちもさっちも行かなくなった彼が、神の懐に飛び込んだ時から劇的に道が開けたのである。
神様を宗教や自分には縁のない遠い存在と感じている人は多い。たとえ神を信じる者であっても、何となく後ろめたさを感じることもあるだろう。だがあえて神さまにぶつかって行こう。彼は「やってみなはれ」と押し出して下さる。そうして後に、夢が羽ばたく時が来る。
2015-6-16