もの言う牧師のエッセー 傑作選
第178話「 プチぼったくり 」
歌舞伎町を管内に抱える警視庁新宿署によると、昨年1年間でキャバクラ店の料金トラブルに絡む通報は650件を超えた。あくまで正当な請求を装う風俗店と、「お兄さんどう?追加料金はいらないよ」などと通行人を誘い込むぼったくりの片棒を担ぐ客引きたちに対し、ここ数年ぼったくり禁止条例等で規制強化が進んでいるが、「 店側もよく勉強していて、金額の表示や請求の仕方などで落ち度がないようにするなど、営業が条例違反に該当しないよう巧妙化している」と捜査関係者の弁。だがこれらは言わば、“裏社会”が仕切る非合法活動の一環であり今さら珍しくはない。
驚いたのは、際どい手口でサービス料を重ねて取ろうとする居酒屋などの「プチぼったくり」だ。頼みもしてない“お通し”や、“席料、週末料金、「チャージ料一人1000円」など、高すぎるとも適正価格とも言い切れない請求が並び、外食産業を巡るトラブルも増加の一途を辿っている。被害者によるツィッター投稿により批判が殺到して閉店した居酒屋もあるというが、これら居酒屋の多くは、前述の非合法組織によるものではなく、れっきとした運営会社によるものが多い。なるほど「カタギもヤクザも大差ない」ということか。実はキリストは「プチぼったくり」に対し、
「自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たち」
ルカの福音書18章9節、
と手厳しい。聖書や教会が人気のない理由の一つが「罪」への理解であろう。それはどんな小さな罪も見逃さない。そして見つかれば極刑である地獄が待っている。何と大袈裟なと思われる御仁もおられよう。しかし、犯罪を犯していないが悪いことをした人、殺人者ではないが人を傷付けた人、強盗はしないがチョロまかす人は多くいる。モラハラ、サービス残業、名ばかり管理職、「国産牛の代わりに輸入物」などなど枚挙に暇がない。
しかも我々は大抵の場合、「自分はあいつよりマシ」などと考えているのではなかろうか。しかし、実はここにイエスが「救い主」である理由がある。彼はこれら一切の罪を背負い、我らの身代わりとなって十字架の極刑に服され、我らはお咎めなしとなった。誰でも自分の “プチ罪” を認め、彼を救い主と信じる者は、極刑を免れるばかりか、神の子とされ、永遠の命をいただけるのである。 2015-4-10