牧師、バイカー、鮨職人として。。。シェア from LA
第70話 「兄貴との思い出、中篇」
俺:「おお、久しぶりやな。元気か?」
彼:「お~、ミッキーか! 久しぶり! 俺、実は昨年のクリスマスに肺癌と診断されて、それ以来 闘病中なんや。」
俺:「。。。。」
やはりそうだったか、と天を仰いだ。急に聖霊に示され、ダンに久しぶりにテキストしたらこの有様だ。
LA(ロサンゼルス)とOC(オレンジ郡)の間にあるハーレーディーラーで彼に福音を伝えて以来 会ったことはなく(69話参照)、あっという間に6年半が過ぎ、時は2020年11月半ば、コロナ危機の真っ最中だった。すでに癌は脳に転移して腫瘍ができ、自宅で寝たきり、完全介護の状態で、つい最近も様々な要因が重なり合併症を起こして昏睡状態になった。自分では用も足せず、奥さんの運転で病院と自宅の往復を繰り返す。どう見ても先は長くない。何としても彼にイエスを信じても貰わねばならない。
それからダンはテキストを止めて直接電話して来たので6年半ぶりの会話が始まった。その時、イエスの聖霊が激しく私に降るの感じた。全身の血がたぎった。今日、明らかに主が私を彼の元に遣わされたことを確認した。
俺:「で、いつ死ぬんや?」
彼:「アホ! 俺はまだ死なんぞ! 治ったらまた走りに行こうぜ。」
俺:「そやな。じゃあ祈らせてくれ。一緒にイエスの名によって神に祈ろう。走るには先に癒して貰わないとアカン。」
彼:「おお、そりゃいい。ぜひそうしてくれ。」
俺:「アンタ、イエスに祈ると言う意味を分かってるのか? ただの“お願い”とちゃうで。お経やお題目、儀式とも違う。
イエスと話し、彼を心に迎えることや。その為にアンタがやらないといけないことがある。一応クリスチャンなら、
イエスが俺たちの罪のために十字架にかかったことくらい知ってるやろ。しかし、俺たちは皆、自分勝手な道を
歩き、迷い出た。分かるな。 イエスを心に迎えるためには、まず己の罪を悔い改めないといけない。出来るか?」
彼:「ああ、その話、1カ月前にハワイから来た甥っ子からも聞いたことがある。」
驚いた。 ダンの奥さんのバレリーはハワイ出身の日系4世で、彼女の甥はハワイ在住、30歳の若い牧師だと言うではないか。 神はあらかじめバレリーの甥っ子をダンに遣わし、今日、私が導かれる前に備えをされていたのだ!
「よし!なら話は早い。『天の神さま、今日、私は自分の罪を悔い改めます。あなたが十字架にかかり、3日目に復活して私を救ってくださったことを感謝します。イエスの名によってAMEN.』と祈れ! 」と促したところ、彼は素直に祈った。それに続いて癒しの祈り、感謝の祈りを捧げた。そして2人で“クリスチャンの兄弟”になったことを喜んだ。
結局、彼と電話で話せたのはこれが最初で最後となった。幾度かテキストは交わしたが、ほどなく人事不省に陥り半年後に亡くなった。渾身の力を奮って打ったであろう最後のテキストは「俺には信仰がある」だった。ダンは確かに救われたのだ。最後の最後になって彼に福音を語るチャンスをくださり、そして救ってくださった主イエスを今日も称える。
「私は福音を恥としない。
それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、全て信じる者に、
救を得させる神の力である。」
ローマ人への手紙1章16節、口語訳
2022-9-30