もの言う牧師のエッセー 第168話 再投稿
黒田官兵衛,全3話“負けて勝つ” ③「 敵中突破 」
「わしは家康にも光成にもつかぬ。」 関が原の戦いを前にして官兵衛はそう言い放つ。実は似たような人物が他にもいた。京に滞在していた薩摩の島津義弘である。先の朝鮮の役、 “泗川城の戦い” において、20万人からなる明・朝鮮の大軍をたった6000人で打ち払い、その剛強さは「シーマンズ」と呼ばれ大陸でも恐れられた。軍神と称えられ百戦錬磨の彼は徳川方の勝利を確信、家康の臣である鳥居元忠の守る伏見城へ参じたが、“身内”だけの玉砕覚悟でいる鳥居らはこれを拒否。仕方なく西軍につくが、周知のとおり端から家康の仕組んだ “出来レース” だった関が原の戦いはあっさりと終結。徳川方でない約1000人の島津勢は敵中に取り残されてしまった。
源氏の名門島津家の最大の危機はこの時である。このままでは全滅必死、ただちに西に向かって逃げねばならない。だが何と彼らは逆方向である東へ、しかも家康の本陣を突っ切り伊勢街道へ向け逃走を開始、ただちに精強でなる福島勢を蹴散らし、しかも兜・甲冑の “赤備え” で有名な徳川最強の井伊勢を突破、さらに追いすがる本多勢の一騎当千の武者たちを振り切り、続出する戦死者も顧みず伊勢街道を走り抜け関西を脱出、無事に帰国した。これで前述の泗川城の戦いに続き薩摩兵団に新たな「敵中央突破」の最強伝説が加わった。こうなると家康もうかつに手が出せない。本領安堵である。
彼らは明治まで力を蓄え維新を成し遂げた。当時の彼らの旗印は維新当時の“十文字に丸“ ではなく筆書体の ”十” の字のみ、しかも縦線が長くなっており十字架そのものだ。敵中を疾風の如く突き進む“十字架の軍旗”は、まさに罪と悪を葬り去ろうと命を懸けて敵の待ち受けるエルサレムに進んで行くキリストの姿そのものだ。
「さて、一行は、エルサレムに上る途中にあった。イエスは先頭に立って歩いて行かれた。弟子たちは驚き、また、あとについて行く者たちは恐れを覚えた。すると、イエスは再び十二弟子をそばに呼んで、ご自分に起ころうとしていることを、話し始められた。『さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは、人の子を死刑に定め、そして、異邦人に引き渡します。すると彼らはあざけり、つばきをかけ、むち打ち、ついに殺します。しかし、人の子は三日の後に、よみがえります。』」
マルコの福音書10章32-34節。
これは彼が十字架にかかる約1ヶ月前の、彼自身による預言である。見てのとおり彼は全てを知っていた。謀略にかかり騙されて十字架にかけられたのではない。我らを死の裁きから救うために彼は自ら進んで十字架に向かわれたのだ。そしてなぶり殺しになりながらも、3日目に復活し、天に昇り、まさに人類史上最強の敵中突破を成し遂げたのである。彼こそは男の中の男、あるいは“軍神“ であり守り神である。彼を信じる者は負けても勝ち、どんな苦しい時も中央突破できる。
2015-1-23