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もの言う牧師のエッセー 第150話 再投稿

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もの言う牧師のエッセー 第150話 再投稿
「 終戦70年目を迎えて(下):秋山真之 」  

   120年前の日清戦争から110年前の日露戦争を経て、100年前の第一次大戦までを振り返る時に忘れられない人物が「坂之上の雲」で有名な秋山真之である。「僕は何もしていない。秋山君が全部やった。」と日本連合艦隊を率いた東郷平八郎が言うとおり、日露戦争における日本海海戦で勝利をもたらした “丁字戦法” を初め作戦の一切は彼の手によるものである。

小説「坊ちゃん」で知られる名門松山中学を出た後、東京帝大を目指すが極貧ゆえにあきらめ、当時 “貧乏人のエリートコース” で授業料がタダの海軍兵学校に進学。抜群の記憶力と観察力を持つ彼は予習で大意を掴み授業で一切を把握、さらに教官がどこに重点を置いているかにのみ注意を払い、試験官の性格や傾向など含め過去5年間の答案用紙を分析、データベース化し、試験の折には必ずヤマを張り的中させ同級生にも親切に教えてやったので、ついたあだ名が「試験の神様」だった。

同校を首席で卒業した後、海軍の戦術家の道をひた走り、やがて戦略研究の世界的権威である米海軍のA.T.マハンと出会い、過去の戦史の実例を調べ、多くの兵法書の中から共通する法則を見つけ出すことを彼から学んだが、何とそれは陸軍の兵法を含んだものだった。後の日本の陸海軍の仲の悪さからは想像もつかないが、彼は持ち前の柔軟性と分析力を発揮して古くは武田信玄の「車がかり戦法」や能島村上水軍の「海賊古法」など古兵法から近代の米西戦争に至るまでの世界中の戦闘を研究しデータベース化しまくった。

その結果の大勝利ではあったが全てが終わった時、彼は「俺は坊主になる」言い出し軍を慌てさせた。ロシアを撃破し今や名参謀「Akiyama」の名が世界に知れ渡った人物が軍を辞めたりしたら、この先どれだけ優秀な若者が追従するかも知れず軍としてはたまったものではない。実は海戦は“死体を見なくて済む戦闘”として知られる。互いが距離を置いて艦上から打ち合う為である。だが戦闘終結後は参謀として全てを視察せねばならない。そして彼は全てを見た。首のない死体、累々と横たわる屍。。。彼は衝撃を受けた。己が血道上げて来た戦術や戦略の結果がこれなんだと。

国中上げての慰留により彼は軍に留まったが、戦争というものに人知ではコントロール出来ない不条理を感じた彼は、脱力感からか神道や仏教など宗教に凝り、無作為な日々を過ごすようになる。が、その十年後、彼は第一次大戦を視察。プロシアドイツ圧倒的優勢の中、米国とルーマニアの参戦、さらにドイツの敗北までを次々と予測的中させ世界を驚かし「Akiyama恐るべし」と称えられた。彼はフヌケになったわけではなかった。ただ、人間の限界を悟ってしまったのだ。

実は彼は日露戦後、“天意” を信ずる気持ちが強くなり、常々「神は敬すべきものであって、頼むべきものではない」と息子にも教えていたが、第一次大戦が終わりに近づいた頃、図らずも49歳の若さで病死した。彼は死ぬ直前まで「アメリカとは戦争するな!」と主張し続ける一方で、それが避けられずやがて日本が滅亡の道を進むことさえ予測していた。 聖書は、

「人は天より与えられずば、何をも受くること能(あた)はず。」
             ヨハネの福音書3章27節:文語訳 

と言っているが、晩年の秋山が感じたのはまさにこれである。それは、天才である彼が己の英知の全てを賭けて国を守ったからこそ見えてきたものではなかろうか。だが日本は、その後 “人意” だけを頼みとし、無謀な道を突き進み全てを失った。そして今も大して 変わっていない様に見える。神であり、天意のそのものであられるキリストに日本が立ち返り、来るべき破滅から逃れるよう今日も祈る。神は、少なくとも110年前には日本を救ってくださったのだから。       
2014-9-11 

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