第23話「シゲコさんの葬式」
さて、受洗後のシゲコさん(7話~10話参照)は、主の恵みの力で元気になり、認知症により忘れていた英語も思い出し、以前よりも歩けるようになり、バイブルスタディも続けていたが、パーキンソン病を併発していることが分かり、受洗から半年ほどたった頃から急速に体調が弱り寝込むようになり ほどなくして人事不省に陥った。さらに半年が過ぎ、年を越え春を迎えたある日、息子さんのトムから急な電話があった。
「ミッキー、久しぶり。オフクロがついに死んだ。お前300ドルで葬式やってくれるよな?」 300ドル?安!と思ったが「ついに彼女が?。。。 ああ、いいよ。と言うか、アンタ大丈夫なの?それに俺でいいの?」と返すと「ああ、平気さ。彼女は天国に行ったんだから。もちろん君しかいないだろう。君が母を導いたのだから。それより葬式をいつにすればいい?お前も色々忙しいだろ?」
その通りだった。すでにミニストリーを初めて2年経過していたが、ようやく教会の認可も取り、受洗者も3名ほど与えられるなど教会らしくなりつつあり、ここらで正式に「教会発足式」をしようと準備中で、日本からも有志が応援に駆け付けてくれることとなり、その日を2011年4月のイースターの前週である第三日曜日(棕櫚の日礼拝)17日に定めバタバタしていた。が、「じゃあ発足式翌日の月曜にやろう!」と決めた。アメリカでは誰かが亡くなってもすぐに通夜などせず、冷凍保存するか先に火葬するかして参列者が集える日に葬式を行うのが通例なので即決できた。「オフクロの思い出話はどうでもいいので とにかく徹底的に福音を語ってくれ!参列者の殆どはクリスチャンじゃないから。」と言う彼。
「で、参列者は何人ほど?」と尋ねたら、「50人くらいじゃない?」と言うので、じゃあ家族的なんだなと少し安心した。実のところ、両親が2人とも牧師であったこともあり私は幼い時から神学を叩きこまれ、ハタチを過ぎた頃には数百人の前で説教していたが、英語での説教は未経験だった。個人伝道などでは困らないものの日常会話と説教とでは英語の質が全く違う。祈りつつ当日を迎え講壇に立って見ると、「何じゃこりゃ!」 何と300人ほどもいる!思わず背中が凍り付く。「神さま、助けて」と祈りながら聖書朗読を終え説教に入ったが、「何やこれ!間違ごうてるやんけ!」と気付いた。 聖書朗読の後は親族による思い出話の予定だったが すっ飛ばして説教しちゃった、トホホ。こうなったら開き直って福音を語るしかないと必死で語った。
葬式が終わった後、トムさんに”間違い“を謝罪したが、「そうなの??気付かなかったよ。最高の葬式だった。ありがとう!」と喜んでくださった。おまけに彼の妹さんと合わせて3000ドルも献金してくれた。
”予定“の10倍だ。シゲコさんのミッションは初めから終わりまで主の憐れみに満ち満ちていた。
「主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。」
哀歌3章22節、共同訳
2-27-2020
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