第20話「アメリカで教会を法人化する」Part 4 武曽氏との問答②
武曽氏にはそれからも用事があるたび彼のオフィスで伝道した。ある時、彼は「ところで古林さんの教会では献金はどうなってますか?信者さんたちはどれくらい教会に寄付してるのでしょう?」と聞いてきた。
ボク:「え、と言いますと??」
カレ:「実は私は門徒なので何十年も寺に金を払ってきたのですが、
家族一人当たり300ドル、妻と息子2人合わせて1200ドル
ですよ!
いい加減高すぎるので、息子たちは手も離れたことだし
最近は彼らの分を払うのをやめましたが、それでも600ドルです。
教会でもそんなことやってるんですか?」
ボク:「ガッハッハ!!そんなに払っていただけたら嬉しいなあ!
道理で真宗さんはリトルトーキョーのど真ん中に大きな寺を
お持ちな分けだ!ウチにそんなことする人いませんよ。
そもそも献金は無理やりやらせることじゃない。
まあ聖書には一応 収入の10%というのがあり、私も長らく
そうして来ましたが、無理やりすることではありません。」
カレ:「10%!それ知ってます!
それってタックス(Tax/税金)なんですよね?
あれって良いアイデアですよね。
団体を運営するには合理的だなぁ。」
さすが会計士。着眼点が違う。などと感心したが、
ボク:「よくご存じですね。
厳密にはタックスと言うより祭儀の運営費に近いです。
規定が明文化された頃イスラエルはまだセオクラシー
(Theocracy/神権政治)だったので誰かがややこしい祭儀を
色々やらないといけない。
それで選ばれたのがレビ人という人たちで、
彼らを養うために10%が使われました。
今はもうイエスが十字架で犠牲になったので祭儀は不要となり、
10%はやや形式的です。」
カレ:「ほう?」
ボク:「以前 私は「聖書を“キリストを中心にして読む“よう勧めましたが、
実は献金も”十字架にかかり全て
を捧げたキリストを表す”もので、イエスが私たちの罪を赦す
ためにご自分の命を捧げられたので、
彼を救い主として心から信じた者もまた彼に大事なもの(金、時間など)
を喜んで捧げることが出来るんです。
なので無理に献金する(させる)必要はないし、
仮にしても負担になるだけです。
言い換えれば、献金や奉仕をしたくない人は、まだイエスが
彼らの罪のために死んだことが曖昧にしか分かっておらず、
心から信じてない。結果あなたのように“無理やり頑張る宗教“に
なっちゃう。逆に確信がある人にはイエスの力である聖霊が働く
ので喜んで捧げることが出来る。今の私がそうです。
でなきゃ無給で牧師なんかしようとしませんよ(笑)!」
カレ:「いやぁ本当に古林さんはスゴイ。
僕も人のためにやってるけど金も貰ってるからなぁ。。」
ボク:「いえ、スゴイのはイエスさまです。私を救うために死なれた上に、
しかも彼のために働けるチャンスを下さった。
これを“めぐみ“と言います。私が頑張ってこうなったんじゃない。
以前の私は人を人とも思わないヒドイ人間でした。いや、
今も罪人です。でもそのような者を神は愛して下さるので、
かえって私は喜んで奉仕が出来るんです。」
まさか献金の話から始まり私個人に関する恵みの証しが出来るとは思わなかった。真剣に聞いておられた武曽氏の表情が印象的だった。
「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。
それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」
エペソ人への手紙2章8‐9節
そしてこの後、彼の口から驚くべき事実を聞くことになる。
つづく。。。 1-11-2020