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◇桜物語◇別世界◇祐里秘話◇

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◇桜物語◇別世界◇祐里秘話◇
◇桜物語◇別世界◇祐里秘話◇

 まだ夜が明けきらぬうちから、祐里の婚礼準備が始まった。
 祐里は、蒼白な顔色を覆い隠すように水化粧を塗られ、白無垢の着物を着せ付けられて、人形さながらに椅子に座っていた。
「ほんに美しい花嫁さまですこと」
 支度を施しながら、美容師たちの口々に羨望のため息が洩れた。
「少しだけ、お庭を歩いてきとうございます。ほんの少しだけでございますので」
 祐里は、簪を挿し終えた美容師に小さな声で懇願した。
「用意は、整ってございますが、間もなく出立のお時間でございます。十分程にしてくださいませ。着物の裾をお持ちしてお伴いたしましょう」
「お伴は御無用でございます。ひとりでお屋敷にお別れをしとうございますの。必ず十分で戻ってまいります」
 祐里は、すっと立ち上がって着物の裾を持ち上げると、後ろを振り返ることなく部屋を出た。婚礼準備に奉公人たちは、それぞれの場所でそれぞれの仕事に没頭し、祐里に気が付くものはいなかった。
 祐里は、勝手口から足袋のまま庭に出て、桜の樹の下に赴いた。
「桜さん、遂にこの日が来てしまいました。私は、妻になれずとも、いつまでも光祐さまのお側に居とうございました。桜さん、祐里一生のお願いでございます。私を取り込んでくださいませ。そうすれば、桜さんと一緒にいつまでも光祐さまのお側に居ることが出来てございます」
 白無垢姿の祐里は、桜の樹に抱きついた。
 桜の樹は、葉を揺すって祐里を抱きしめた。そして、祐里の白無垢を融かすように静かに樹の幹へ取り込んでいった。

 夜明けとともに祐里は、大きな社の前で気を失っているところを宮司に発見された。
 三日三晩眠り続けた祐里は、宮司とその妻蘇芳の見守る中、静かに目覚めた。
「ここはどちらにございますか」
 祐里は、辺りを見回して、ゆっくりと起き上った。頭の中が乳白色の霧で覆われている気分だった。
「ここは、緑の宮でございます。あなたは、三日前に社の前で倒れておいででございましたのよ。お顔の色もよくなりましたから、もう大丈夫でございましょう」
 宮司の妻・蘇芳は、優しい笑みで祐里を包み込んだ。
「三日前でございますか。緑の宮・・・・・・どちらでございましょう」
 祐里は、初めて耳にする地名を聞き、頭の中の霧を払うように首を振った。
「ご旅行でいらしたのかしら。あなたのお名前は」
 蘇芳は、静かに祐里に問いかけた。
「私は・・・・・・ゆうりと申します」
 祐里は、遠い記憶の奥底から、名前をゆっくりと汲み上げた。
「百合さんね。可憐な白い百合のようなあなたにぴったりなお名前ですこと。どちらから、いらしたの」
 蘇芳は、即座に祐里の雰囲気から名を「百合」と思い込んだ。
「はい・・・・・・あの・・・・・・申し訳ございません。何も思い出せないのでございます」
 祐里は、記憶が重い扉で閉ざされているのを思い知らされた。そして、蘇芳の力強い「百合」という発音に自身の名を百合と認識してしまった。
「まぁ、どうしたことでございましょう」
 宮司と蘇芳は、顔を見合わせた。
「蘇芳、何か事情があってのことだろう。百合さん、しばらくこの宮に滞在するがよい。何ももてなしはできぬが、元気になったら、蘇芳の手伝いをしておくれ」
「はい。誠に申し訳ございません。お言葉に甘えてお世話になります。どうぞよろしくお願い申し上げます」
 記憶を失った祐里は、緑の宮で生活をするようになった。
 
「宮司さま、百合さんは、神様からの授かりもののようでございます。ほんの数日一緒に過ごしただけでございますのに、もう私は百合さんが自分のお腹を痛めた娘のような気がしてございます。現れた時の白無垢姿といい、天女さまのようでございますね。それに巫女装束がよく似合ってございます」
 祐里は、着物を誂えるまでと宮の巫女装束を毎日身に付けていた。
「緑の宮に天女降臨か、まるで社絵の再現のようだのう。時々見せる淋しげな表情は、天空への恋慕かな」
「まぁ、宮司さま。浪漫的なご発想でございますこと。百合さんの身元がわからないままだとよろしゅうございますのに。ねぇ、宮司さま、ずっと宮にいていただきましょう」
「いや、もし、身内がいるのならば、さぞ心配されていることだろう。駐在さんに捜索願いが出ていないかどうか調査してもらっているから、そのうち見つかるだろう。その前に百合さんの記憶が戻るかも知れないし」
「どうかみつかりませんように」
 蘇芳は、緑の宮に手を合わせて祈った。
「蘇芳、後から辛くなるのはそなただぞ。よそ様の娘さんをお預かりしていると思うくらいでちょうどよいのだ。子のいない私たちに神様がしばしの間ご褒美を下されたと思うてな」
 宮司も内心祐里が来たことを神様に感謝していた。


 月日は流れて・・・
 祐里は、身元不明のまま、緑の宮の養女になっていた。

 そこへ、村の開発事業の下見に、宿泊所として指定された緑の宮別棟に、都から視察団が訪れた。

 視察団として緑の宮を訪れた光祐は、宿泊所の世話をする祐里が「みなさまのお世話をさせていただきます百合でございます」と挨拶して、顔をあげた瞬間、驚きで声が出なかった。百合は、祐里に瓜二つだった。

 緑の宮を背に光祐は、明るい満月を見つめていた。祐里が別棟の就寝準備を終えて通りかかった。
「百合さん」
 光祐は、祐里に声をかけた。
「桜河さま、こんばんは。月夜のお散歩でございますか」
 祐里は、会釈を返した。開発会社の客の中で、光祐は、格別の優しさで祐里に接してくれていた。光祐が側にいるだけで、祐里は、不思議と寛いだ気分になっていた。
「ええ、余りに綺麗な満月でしたので、見惚れていました」
 光祐は、真っ直ぐに祐里の瞳を見つめて話した。
「ほんに今夜は、お月さまが美しゅうございます」
 祐里は、面映ゆく感じながらも光祐の視線から瞳を反らせなかった。
「百合さん、もしよろしかったら、しばらく散歩にお付き合いいただけませんか」
「はい、お供させていただきます」
 光祐は、静かに歩を進めた。祐里は、半歩下がって、光祐の後に続いた。二人は、何も会話を交わさずともこころが触れ合っているのを感じていた。
 一陣の風が吹いて、小さな白いものが舞った。光祐は、白いものに惹かれて祐里を振り返った。
 祐里が差し伸べた掌にその白いものは、舞い降りた。月の光に照らされて、ひとひらの桜の花びらが祐里の掌で光り輝いた。
「祐里」
 光祐は、振り向いて月明かりに佇む祐里に思わず囁いた。
 祐里は、自身の名を最愛の光祐から呼ばれて、掌の桜の花びらを握りしめ、記憶の扉がこじ開けられるのを感じた。
「光祐……さま」
 祐里は、懐かしい名が自然に口から溢れて、光祐の胸に飛び込んだ。
「祐里なのだね。ぼくの大切な祐里なのだね」
 光祐は、力いっぱい祐里を抱きしめた。祐里は、光祐の胸の中でこくりと頷いた。懐かしい祐里の感触と香りが光祐の元気を蘇らせていた。
「光祐さま。私は、祐里でございます。只今、光祐さまがとても大切なお方であられたことを思い出しました。ただ、それだけで、まだ他のことは何も思い出せません。私は、ここに来るまでの記憶を失くしてございますの」
 祐里は、光祐の広い胸の中でしあわせを噛みしめていた。光祐との記憶が次々に蘇っていた。
 光祐が父母を亡くしてこころ細い思いをしている時に「ゆうり」と呼びかけてくれた日。幼いながらも光祐を慕って、後ろを付いて回った日々。光祐が都へ発った日。
「光祐さま、私は、お屋敷で光祐さまをお待ち申し上げてございましたのに、何故ここにいるのでございましょう」
「祐里、他のことは思い出さずとも、ぼくのことを思い出してくれただけで十分だよ。突然祐里が神隠しにあったように消えてしまって、どれほどこころを痛めたことか・・・・・・こうしてまた巡り合えたのだから、それだけで十分だよ。焦らずとも少しずつ記憶が戻るのを待つとしよう。いや、辛い記憶など戻らない方がいいのかもしれない」
「光祐さま、もう二度と離れとうはございません」
「祐里、もう二度と離しはしないよ」
 光祐は、尚も祐里を力強く抱き締めて、柔らかな唇にくちづけた。
 しばらくの間、時間が止まったように、天の月が静かに二人の口づけを見守っていた。
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