「キャリアを中断→収入ゼロ」になったときの心構えは?
10月
10日
現地で働かない限り、リモートワークでもしない限り、十中八九、収入ゼロになる。
その時、どうするか。どのような心境に至るか。そして、どう対処すべきか。
アイデンティティーの喪失も?
私自身、それほど重苦しく、深刻に思い詰めた記憶はない。雀の涙ほどの貯蓄に加え、会社を辞めていない=いつでも戻って復職できる、、との強みがあったためだろう。
そうではない場合、アイデンティティーの喪失やら、ともすれば配偶者にへりくだらなければいけない自分の発見、自分が価値がない人間になったのではないかとの思い、、さまざまな感情が押し寄せ、無力感にさいなまれ、自らを見失うことにもなりかねない。
人生をも一変させる駐在に直面して
ただ、ちょっと立ち止まって、考えてほしい。
収入ゼロになったから「生きてる意味がない」とか、「何も生み出さない人間になってしまった」、あるいは「お金の無心をするのが嫌だ」などと、絶対に思わないでほしい。
希望したか否かはともかく、駐在が決まった人間にとって、海外赴任は大変な緊張を伴うものだ。それはまた、その駐在員を心身ともに支える配偶者にも同じことが言える。何しろ、駐在員のみならず、配偶者、さらには子どもの生活環境、もっと言えば人生をも一変させるのだ。
駐在同行は「立派な労働」!
引っ越し早々、会社に顔を出すことを余儀なくされ、早晩組織に組み込まれ、時差ボケのまま、働かざるを得ない駐在員たち。
そんな彼、彼女に代わって、異国での生活立ち上げ=セトルダウンを担い、まだストレスを明確に表現できない子どもたちの感情の揺れに向き合い、何しろ自分自身もあらゆる平衡感覚を保ちながら、あらゆる公的手続きを行い、銀行口座の設置、学校の手続き、家具の調達、引っ越しに立ち向かう等々、あらゆることに対する労力。
それだけでも、立派な労働だと、私は思う。金銭という対価はないが、これほど大変な作業は、世の中にそれほど存在しないと思う。
配偶者が働ける環境を整え、子どもが通学できたり、離乳食を食べられる環境を整え、家族が快適に生活できる家の環境を整え、そんな中でも、毎日の生活を続けていかなければならない。
それだけでも、何も生み出していない、、なんてことは決してない。あり得ない。あってはならない。
ましてや、生活が落ち着いてからも、異国での生活には何かとトラブルが起こり得る。望まなくても、巻き込まれることもある。
変化は、自ずと人を強くする。気付いてなくても、駐妻、駐夫の皆様は100%強くなっている。
金銭面にみる、育休との違い
育休と海外同行休職の経験者として、金銭面から見た精神的安定感はまったく異なる。
私の場合、
育休→月収3分の2が保証された国の給付金+会社の共済会から補助金
同行休職→なし
十分な実入りがあった育休と、配偶者の傘下に入る同行休職は、根本的に異なる。これは、キャリア中断した男女共通の話。
存在位置の相対化が大事
海外において実入りがなくなった自分というものを、早い時期に客観視し、配偶者との関係や世間における存在位置を相対化することが、とても大事。
なかなか辛い作業だが、これさえ乗り越えれば、あとは楽しいことばかりのはず。
勿論、その過程で配偶者との念入りな話し合いは必須になる。
見てる人は見てる
当たり前だが、実社会からの収入がないから、働いてない、役に立ってない、などと卑下する意識はまったくもって不要。
異国での家事・育児、厳しい環境で働く配偶者のサポート、それら自体が立派な労働であって、評価されるべきもの。
誰にも評価されない、との悩みは尽きないが、見てる人は見てる。