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徒然なるままに日暮

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プラハ ヴァーツラフ広場で革命を想う

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ヴァーツラフ広場全景 広場と言... ヴァーツラフ広場全景
広場と言うよりも大通り
多くの大規模テナントが集まって... 多くの大規模テナントが集まっている 中間あたりから国民博物館を望む 中間あたりから国民博物館を望む プラハの商業中心地だけあってT... プラハの商業中心地だけあってTVのレポーターさんも。
但し、もっとかわいい子が道を歩いている(笑)
季節の花も美しい広場だが 季節の花も美しい広場だが 聖ヴァーツラフの銅像のそばには 聖ヴァーツラフの銅像のそばには ヤン・パラフのメモリアルが、こ... ヤン・パラフのメモリアルが、ここが「革命」の現場だった事を思い出させる 広場中央の市電を改造したCaf... 広場中央の市電を改造したCafé
平和を謳歌するという事、こういう事か。
さて、旅の目的の一つ『ウ ズラテーホ ティグラ』で飲む、も無事達成し(どんな目的だ)街に出る。

もうひとつ、『プラハ』に来たからには行かなくてはならないのが『ヴァーツラフ広場』だ。プラハ旧市街地区にあって最大の広さを持つこの広場は「プラハのシャンゼリゼ」とも呼ばれる700mに渡る大通りである。南に向かって軽い上り坂になっていて、どん尽きには「国民博物館」があり、その手前に「聖ヴァーツラフ」の像が建つ。

この広場を世界的に有名にしたのが、「プラハの春」そして「ビロード革命」だ。

1968年、ブレジネフは、ワルシャワ条約軍によるチェコスロバキア侵攻を行う。翌69年にソ連の戦車が、この広場を占拠した時、聖ヴァーツラフの像の前でカレル大学生ヤン・パラフは抗議の焼身自殺をした。翌年チェコ共産党の改革派ドゥブチェクの失脚で「プラハの春」は終焉を迎える。そこから、この国は長い冬の時代に入った。

広場には現在、「ヤン・パラフのメモリアル」と呼ばれる地に横たえられた(埋められた)十字架のモニュメントが残る。

それから20年。1989年11月24日(私の30歳の誕生日に)チェコスロバキア共産党は解体し、この広場で「市民フォーラム」代表のハヴェルが革命の勝利宣言を行った。学生運動主体の無血革命の為に「しなやかな革命」の意で「ビロード革命」と呼ばれる。

「ビロード革命」の際に市民たちの拠り所となり民主化運動の象徴となったのが、マルタ・クビショヴァが歌った「ヘイ・ジュード」である。(チェコ語の歌詞は原曲とは異なる)

共産党の弾圧で歌手生活を辞めていたマルタが、自由を勝ち得た民主を前に、この広場で集まった大観衆に「ヘイ・ジュード」を歌う姿は、チェコ国民にとって自由への賛歌として深く心に刻まれている。

ロンドン五輪の開会式でポールが数あるナンバーから「ヘイ・ジュード」を歌ったのは、こういう背景からだと個人的には勝手に思っている。
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