エキシビジョン型イベントって。
11月
21日
思えば、もう随分と東京モーターショウには行ってない。実は、我が家では2014年に車を買い替える可能性が極めて高いのだが、それでも行く気にはならない。(他にエアコンもPCも買い替える時期で、色々と物入りな年になりそうだ)
更に、会場は、以前と異なり幕張メッセから東京国際展示場に変わっているので、我が家からは電車で直通一本なのだが、それでも行かない。
一体、今回の来場者見込みは、どの位なのだろう。多分、昔に比べれば少ないはずだ。(確信は無い)
若者のクルマ離れとか国内販売の低迷とか、色々と言われてきたが、私の感じ方は、ちょっと違う。東京モーターショウに限らず「展示会」なるものに食指が動かないのだ。特に業界とか分野が広がれば広がるほどイケナイ。
実は、「愛・地球博」の時に、すこし予感が有った。生来のイベント好きの私が、どうも「イマイチ感」に包まれていた。私が年を取ったからかもしれない、それもあるだろう、否定はしない、そうだ、もう親父もいい所だし。だが、敢えて言おう。
世の中、展示会という形態のイベントの賞味期限が来ているのではないのか。
私が学生の頃、東京モーターショウと言えば、最大の展示会イベントだった。社会人になってからはビジネスショウ→データショウ→インターロップ→N+Iなんて感じだったが、それでも東京モーターショウは別格の展示会だった。
多分、それは今でも変わっていない。NHKの7時のニュースがトップに取り上げる展示会は、そうそうない。その意味では、未だに東京モーターショウは展示会of展示会、展示会の王様なのだ。
その東京モータショウに行く気がしない。何故か、自問してみる。モヤァっとした意識が囁く。
「んな、もん、行かなくたってネットで見ればいいじゃん」
そうなのだ、昔は「見に行く」という行為無くしては知りえない事が多くあった。新聞、雑誌、専門誌、仲間との喫茶店や飲み屋での情報交換、それら全てを取り纏めても東京モータショウの概要すらわかりゃしない、そういう時代だった。だから、電車に乗り、高い入場料を払い、物凄い人混みの中で、かすかに新発売のクーペの屋根を見る、なんて事をやっていた。やる必要があったのだ。
今や、全ての情報はネットで事足りる。基本的な事実や客観的な感想はもちろん、口コミと言う名の偏向した情報も含めて、全てだ。
いや、はっきり書こう。最早、展示会には行くよりも、ネットを渉猟しそれを整理した方が「より情報獲得できる」のだ。
東京モーターショウに限らず、多くの展示会が、この環境変化に対応できていない。だから入場者数が減少するのだ。N+Iは流石に気付いたのか、展示会自体を辞めてしまった。
このように書くと、コミケやB-1グランプリなど多くのイベントが活況を呈していると思われる方もいるかもしれない。だが、それらのイベントは殆どが体験型であり、意識共有の仕組みを持っている。反して、東京モーターショウは、自動車業界最大のイベントでは有っても、決して意識共有を提供してくれるものではない。(コンパニの撮影は除く、か)
このような形態しか提供できない展示会が賞味期限切れだ、と言っているのだ。展示会主催者側の発想力が時代についていけていない。
評論めいた批判ばかりしていても気が滅入る。それでは、今の時代に展示会を(大好きだった)イベントとして機能させる為には、どうすれば良いのか。例えば、開催の3か月前からSNSにて展示内容をプレビューし、それに対するコメント・フォロー・リアクションを共有できる仕組みをネット上で展開し、LikeIt(いいね!)を多く獲得した上位5万名に限り招待する展示会としたならば、限定の飢餓感とも相まって、今の形態の東京モーターショウに比して遥かに巷間盛上がり人々の話題となるのではないかと思う。
イベントなんて盛り上がってナンボ、だ。人々の話題になって成果だ。
人間の知恵が、人間が生み出した仕組みに追いつけないはずはない、と思っている。