小泉元首相原発発言
11月
18日
小泉元首相が各地の講演会や記者クラブ、公の場において「原発0」を訴えている。当初は、「政治家として方向性を示す」という論調だったが、ここ数日はエスカレートして「原発は即時0」という感じになってきた。
欧州の核燃料最終処理場を見学し、核燃料の無害化には10万年がかかる、と言う現実を地下深くの洞穴で体験して意見が変わったとの事である。もちろん、判り易く「東日本大震災と福島原発の事故を見て」という話でも伝わっている。
元首相だろうが、政治家だろうが意見が変わることは当然あり、むしろ稀有な天災や過去の曖昧な施策を認識した場合には「変わるのが当たり前」という感じも有る。変わらない方が「既存の考え方に縛られた過去権益の守護者」みたいにも見えたりする。
だが、しかし、小泉発言の真意は、実は全く違う所にあるのではないか、と私は考えている。
結論を書く、小泉元首相の「原発0宣言」は、米国シェールガスの輸入正当化、最大化に関するプロパガンタだと私は考える。
邪推かも知れない。だが、そう考える理由が私なりにはいくつも有る。
まず、最初の根拠は小泉元首相は、その首相在任時から米国の極東施策の現地COOとして非常に有能な政治家であった、という以前からの私の感想だ。
小泉政権時には「年次改革要望書」と呼ばれる日米両国の規制改革に関する文書交換の制度が有った。民主党鳩山内閣にて廃止とされるまで、この文書は実質「米国からの日本への内政干渉」であったと言われている。小泉政権の代名詞である「郵政改革」もこの要望書にて米国が再三指摘してきた施策であり、その後に続く保険業務の外資参入や株式の3者持合いの自由化なども全て、この「年次改革要望書」にて要求されてきたことである。このあたりの事情については郵政民営化議論の際に有意の評論家なども随分と指摘していた。
私の感想を、一言でいうならば小泉政権とは米国の極東施策の執行ユニットであった、という事である。
もちろん、小泉首相も、このような道を辿る事が日本国の最も発展する道筋と考えての行為であったと信じたい。具体的には、北朝鮮への電撃訪問、拉致被害者を連れての帰国、その被害者を国内に留め北朝鮮には帰国させなかった事実など、客観的に考えれば戦争事由になっても不思議の無い行動を取れたのも米国の後ろ盾有っての事と考えている。
では、なぜシェールガスなのか。
原発には大きく2つの方式がある。沸騰水型と加圧水型である。両方とも米国にて開発された方式であるが、加圧水型の開発企業であるウェスチングハウス社は現在、東芝の子会社であり米国から見れば実質「外資」である。
一方の沸騰水型はゼネラルエレクトリック社、つまり米国の基幹企業GE社の技術である。ところが、GEはスリーマイル島の事故以来、原発系技術蓄積が行われず、原子力部門は実質的には「既存原発の保守会社」となっている。
そして、このGE社のCEOが福島原発の事故を受けて「今後は原発からシェールガス、火力風力発電タービンにシフトする」と宣言した。事実上の原発事業からの撤退宣言だ。この事は昨年2012年の8月7日に日本経済新聞などで大きく取り上げられた。(既にお忘れの方も多いと思うが)
つまり、米国経済界は「原子力」は金にならず、「シェール」で世界利権を確保する、という方向に動いている。日本政府が各国へのODAの見返りで受注している「原発」は結局、外資である東芝の利益と考えているからだ。
シェールにとっての直截的な競合相手である原子力は、いまや米国にとって邪魔な存在でしかない。
これが小泉元首相の原発0発言の真意であると私は考えている。
誤解されないように敢えて書いて置くが、私は小泉純一郎と言う政治家が嫌いではない。少なくとも森喜朗なぞよりは遥かに優れた政治家だ。小泉純一郎は「政治家」として妥協点の模索ではなく、最善の道の選択と実行をしようとする人物なのだと思う。
願わくば、その最善の道の主語が「日本国とその国民」で有る事を祈る、「小泉進次郎の将来」では無く。
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