血塗られた歴史
12月
2日
とある人のinterview 記事を読んでいて「なるほどな」とか「目から鱗」と思ったことがある。
1-
権力とくに国家権力に逆らおうとすると「命がけ」だと言うこと。
その記事では、「非業の死」となった有名な方 2 名を挙げていた。
それ以外に、吾輩が小学校の頃図書室の掃除中に報道されて覚えている「あさぬまいねじろう」も知っている。
要するに、「批判も一定は許すが、一線を越えると『不慮の死』につながる」と言うこと。
それに関連し、「大相撲の八百長」告発でも「不慮の死」は結構頻繁。
したがって、反権力も命をかけた人だけが「本物」だと言うこと。
2-
歴史は「血塗られている」。
香港や旧Burma をみてもそうだ。
結局、反体制を貫こうとしたら蜂起それも武装蜂起が必要だと。
それに勝って初めて自分たちが体制=権力、になるわけ。
「ギロチン」の国フランスだって、
「民主主義=彼らの共和制」は「血を流して」勝ち取ったわけだ。
それができない間は、「鎮圧」と言われる。
3-
日本は、明治以降は「平和」だ。
だから、大衆に支持されないままの「火炎瓶闘争」も鎮圧。
しかし、鎌倉時代以降江戸時代までは、
「武士という武装集団」が「権力維持機構」として厳然としてあったわけ。
ここが常に体制維持に努めたわけ。
農民の武装蜂起は鎮圧され、
あと一歩の大きいものだけ後の歴史に「農民一揆」と教わる。
4-
立憲民主党の「代表ごっこ」を見ていて思った。
彼らは、「命をかけていない」。
例えば、
-森友学園問題
-あべによる桜を見る会問題
-1億5千万問題
など、など。
週刊誌に頼らず「自分たちで調べろ」よ。
それをやりある一線を越えると、
1- に書いたように「死」と隣り合わせ。
だから多分やらないのだ。
「万年野党」の地位に安住。
5-
ほんと、
総選挙後の小沢一郎の心境だ。
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