テレビで専門家と称する大学の教授なるものが出て話してるが、まだ今は被災地に入らないようにと言ってる。
迷惑になるからとか、行政の対応の妨げになるとかいっている。
机上の論理で現場を知らない者があれこれ言う。実際任せて何が出来ただろうか?
動いたのは被災者、それにいち早く駆けつけた学生など含めたボランティアだ。
震災直後の14日に1人、超速攻で放射能降り注ぐ南相馬市に20時間掛けてたどり着き、いち早く支援物資を持ち救済に立ち向かった酒谷会長が実際に当地に支援が無く、自分のような存在が大きく必要だったと言っている。
実際その通りだと思う。自衛隊も協力を喜んでくれている。
行政も被災していて、いろんな所から来た未経験者では対応に手間取るのだ。
それに日頃「お役所仕事」など言って草食系の集まりの行政のフットワークの鈍さはみんな知っての通りではないか
実際、神戸の時もそうだった。私の避難所に医療センターが出来、県の本部が入り、自衛隊の部隊が設営された。
しかし、来た医者ものんびりしたもので、用事があってたずねると「今、昼飯なので後にしてくれ」などと言う始末だ。ここは自分の病院ではなく被災地の緊迫した状況の中の医療施設をわかっていない。
後で県の人間に聞いたが播州のほうの大病院の院長だそうだ。
「ここは被災地!お前見たいな奴に用は無いから今すぐ帰れ」と言ってやったと県の者に言うと、そこはやはり身分の世界なのか、恐れ多いとばかりに驚いていた。
しかし、ここは私が設営して、自衛隊、県庁から頼まれた所である。
誰も指示も命令も私には関係ない。私の思うように運営する。私の気に入らない人間は全て排除し、誰の侵入も許さない。まるでどこかの北の国の将軍さんのようだと言われた。
しかし神戸で一番安全で快適な避難所であって、物資の多さも一番であった。
他の避難所から見学に来たり、いろいろ必要な物を避難所でありながらよその避難所に提供し続けた。
県、市、区、自衛隊がそれぞれ1日に2回ずつ近況報告をしに来るので計8回同じことを繰り返さなくてはいけなかった。
これもお役所仕事!やってくる時間も燃料も無駄なことで「用事や何かあったらこっちから行く」と怒りが爆発した。
救援物資も末端まで行かないのはお役所仕事!大きい避難所、登録された避難所などにど〜んと置いていくだけなのだ。
そこからはボランティアや動ける被災者なのだ。
出来る、やれる、私たちのような経験者がいち早く駆けつけて先導してやら無いと、未経験の草食系の役人たちでは対応しきれない。
臨機応変と言う言葉の無い世界で暮らしてきた人達に、災害派遣活動は出来ない。
被災者も「行政はどうなっとるんだ」と言って座ってる人がいたが、水や食料が無ければ死ぬのだぞ。
この非常事態に行動しないのか?自分でなんとかしようとは思わないのか?
私は川の水を飲んだぞ。
税金払ってるから役人が動けといってる。そんな事を言ってる時か?
まさに今同じ事が北日本で繰り返されている。
絶対に行けるものが強行してでも入らなければいけない。もう今がその時期だ。
のんびり、我慢強い東北の人達だ。それに被害も史上最大だ。命がどんどん失われていくぞ
至急私に協力をお願いします。
準備出来次第出発します。
知り合いなどに寄付をお願いした。
やはりいろいろなところに義援金や募金箱に寄付したそうだ。
私は寄付金というものは形に見えないのであまりしない。
阪神大震災のときにある女の子がいて、住んでるマンションの階段にヒビが入り一部損壊判定がでて義援金7万円をもらった。
もちろん住むには全然問題なく、部屋にはなんの被害もなく過ごせたのだが、その金でグアム、サイパン旅行に行った。
実家は日本海側なので非難するならまったく被害の無い所にいけたのだが。
7万円と言ったらかなりの金額で、何人もの善意の塊のはずだ。
何に使おうが個人の自由なんで当人には何も言わなかったが、そんな使われ方もあると言う事を知っていて欲しい。
そういう説明などして援助などを募ったところ、数人の方が賛同してくださった。
でも、衣類などもいいがやはり燃料(ガソリン、灯油)、炊き出し具材、発電機、プロパンガス一式、などを満載したいので限られてくる。
まだ現地は寒く、道中凍結の可能性も考えられる。自分の車は寒冷地仕様で雪には強く、その点は安心なのだがそんなには積めない。
以上の物など揃えるのはやはり金がかかる。少しでも多く揃えたいのでお金を寄付してもらえるように頼んだ。
いつもアクセルの時にバックアップしてくれている、秀さん。表に出るのは嫌だから代わりに頼むと言ってくれた。
1000万ほどお願いします!と言ったらまったく笑わなかったな。
「放射能があるので気をつけろ」と言っていたが、「もう人生思い残すことはないやろ?」とも言っていた。
この人、その昔ノストラダムスの大予言の時にこの世は終わると信じていて、思い残すことは無いようにフェラーリやその他の車を買いまくり満足して終焉を迎えたのだったが、まったくのガセネタだったのでその時の腹の決まったまま現在に至るそうだ。
他の公共団体の理事の方も全体で集めて自治体なり赤十字に渡すと言っていた。
グアムの旅行代金になるよっ!と言って私の考えに協賛してくれる人がいたらこっちにもお願いして見ると言ってもらえた。
そんな感じで何人かの人には協賛いただいたが、やはりみんな行くのは遠すぎるようだ。
1人でも行くつもりなのだが多いほうがいい。
まあ私も別に嫁も子供もいるわけでもなく、悲しむ人もおらず放射能を浴びても親より先に死ぬことも無いだろう。
そんな同じように悲しむ人間のいない境遇の人は一緒に行きましょう
我道場からは・・・と言うと・・・デブリン、真一、プリンスと言ったところが悲しむ人がいないってところか・・(失礼しました^^:)。
まだ人生に未練がある人は来なくても一向に構わないが、私はと考えたら別にしたいことはみんなしてきたし、残ることは嫁でももらって子孫繁栄のために励むかぐらいだが現在可能性も低い。
それに、16年前の避難所に来て助けてくれた人たちが帰る時に、「今度そっちが被災したら俺が飛んで行くで〜」と別れ際に言いまくっていたこともあり、行かねば一生後悔の日々になるのだ。
東京ぐらいを想定していたのだが、全然違うところばかり被災しているので行けてなかったのだが、このたび宮城から来てくれてた人たちの所が被災しているので行こうと思う。
スノボで新潟とかは行くのだが、宮城はかなり遠い片道で1日使ってしまうぐらい時間はかかるだろう。
それにまだまだ寒いところだろうし、すぐ横の蔵王などは春過ぎからゲレンデが開くぐらい雪深いところだ。
蔵王は一度行きたいところだったが、まさかボードを積んで行くわけにもいけずちょっと残念な気もするが、落ち着いたら今度は飛行機で訪れることにしよう。
運行道路はと言うと、被災地には北陸道から山形回りで入ったほうがいいのだろうか?
テレビでは震災関連のニュースばかりで目が離せない。
あれから一週間、まだまだ行方不明者や救出を待ってる人がたくさんいる。
我友人は速攻でぶっ飛んで行って活躍している。
私はと言うと、いつもどおりの平穏な生活を送っている。
食べ物も飲むもの、暖かい暖房もちゃんとある。何不自由なく過ごしている。
やってることは少しばかりの節電。
阪神大震災のときの避難所の資料を探して見たが、先月に処分してしまった
もう16年経って必要な事案は来ないだろうと思って、16年間置いておいたのに・・・、よりによって先月だと。
非難所の製作、運営においての資料や写真類を捨ててしまっていた。
残ってたのは当時来てくれたボランティアのみんなの住所や物資などを送ってくださった方々の連絡先があるだけだ。
中には、今回の被災地、宮城の塩釜のカマボコ会社の有志の皆さんや、茨城の東海村から来てくれたボランティアの女の子とそのお父さんで、東海村の防災関係の仕事をしている方もいた。
東海村は原発の心配があるものの、地震、津波の影響は少ないようだ。
しかし、宮城の塩釜のカマボコ会社は海の前だテレビの映像のような状態なのだろうか
みんな無事であって欲しい。
是非行きたい。あの時の感謝とお返しがしたい。
当時、いろいろな地方から駆けつけてくれただけで嬉しかった。
たくさんの物資が必要だったがいろいろ送ってもらえた。
ありがたかった!
助かった!
今回も神戸以上に必要だろう。
必要な物資を集めるためにはカンパしてもらうしかない。
燃料や水、食料、子供のオムツや衣類などたくさんあって1人では力不足だ。
誰か協力してくれる人はいないだろうか?
物資の提供、購入資金や募金を寄付しようと考えている方がいたら私にしていただけないでしょうか?
被災地で直接私が皆さんの善意を手渡します。
それに一週間ぐらいのスケジュールでいくつもりなので参加してくれる方も募集します。
東北道も走れるようになったみたいなので近々にと思ってます
私の知り合いがジープに燃料、食料、水時を積み込み強行突破で遠路福島に入った。
被災地が拒否してる中での行動で、我われの仲間内でも非難の嵐だったのだが、どういう訳か原発のすぐ横にいるらしい。
放射能の恐怖と寒さにさらされながら、当地の公的ボランティアになり活動を始めたようだ。
髪の毛は無いのでそっちのほうは心配ないだろうが遺伝子に異常をきたすのではないか?
たぶん神戸の震災でまともな働きが出来なかったのを挽回したかったのだろう。
2次災害に見舞われないよう祈るばかりだ。
私も時期を見て行かせてもらうつもりだ。
今できることはなにか?考えて見ても被災地には行けない。
原発が爆発して電力が底を突くそうだ。
節電も協力の1つなのだろうか?わからぬままやってみた。
まず店の夜間照明を消しテレビ、掃除機などの帯時電力を消し、暖房器具も1つ止めた(寒い〜)
でも我われが経験した17年前も暖房どころか寝る場所も無く食べるものも飲むものも手に入らなかった。
3日間車で寝、しかも親や親戚が夜寝て、昼間の間にやっと寝れると言う生活だった。
それから公園に自衛隊テントが出来て布団で寝る事が出来た。
人生、後にも先にも初めて親父と2人っきりで寝た(^^;)
あの頃は寒さも厳しく、氷点下でのテント生活で布団で寝ても耳がこれまた人生初のしもやけになってしまった(:;)
地面に薄いシートを敷いて布団だから冷たいのなんのでなかなか寝付かれなかったのだが、人間慣れというのは恐ろしい。
続の日からは熟睡できるようになり、寒さに強くなっていった。
寒さが大の苦手でどこに行くのも電気毛布を持参し、家では上、下電気毛布で寝ていた私としては初の生活だったのだが。
17年経っても寒さに強くなりスノーボードも全然平気で行ける。
被災地はまだまだ寒さ厳しいことだろう。
是非、温かな食べ物や飲み物、それに暖かく寝れる場所、寝具など確保してあげて欲しい。
私は経験者としてまずそれが大事なことだと思う。
寒さが苦手だった私はドラム缶を手配し、バケツで川の水を汲んでピストンし、壊れた家の廃材で湯を沸かし風呂を作ってみんなを入れた。
さぞ温かかったのだろう。みんな喜んで入り、余裕が出来たものは手伝ってくれ、だんだん大きく万全の設備が整ってきた。
それをNHKがテレビで報道し、天皇陛下もご覧になり、神戸慰問の際にお言葉を頂いた。
やはりテレビの力は大きくそれを見たボイラー会社がビル全部まかなえるものを貸してくれ、防熱の研究所からプレハブの部屋が届き、大きな浴槽も届いた。
1日に120人ほど入りにきて、少しは被災者の役に立ったことだろう。
他にも神戸大学の学生ボランティアの協力で神戸市全部をローラー作戦で回り、避難所と個人避難者を全部調べてもらい救援物資を届けた。
行政と知り合いから様々な物資が届き、当初は300人分の生活物資を確保していた。
神戸の中心にありながら行政が把握してなくて孤立していた春日野商店街の中の3ヶ所の避難所に100人分ずつちょうど300人分を軽トラックで私の所、岡本から大渋滞の中「救援物資配送中」と大きく書いた紙を貼り逆走したりしながら運んだ。
そのような活動をするうちにみんなでまとまらないと話が進まないことがわかってきて、神戸の避難所を全て連携することにし、学生たちの協力の下、「全神戸避難所会議」と言う団体を立ち上げた。
最初は良かったのだが、そのうち過激派が生まれ公安に目を付けられて行政から敵対されてしまうようになった。
他の者は本来の行動をしていっていた。
中でも今でも続いている東遊園の1・17のロウソクをしていた春日野小学校の代表だった中島さん(先日お亡くなりになられた)もメンバーだ。
きっと今回の被災地もいろいろなドラマが生まれる事だろう。
ぜひこれ以上悲しいことが起きないように願うばかりだ。
今は出来る限り義援金、救援物資を送るしかできない。
許してください。
そして多くの亡くなられた方にご冥福を祈ります。
とうとう史上最大の地震がきてしまった。
神戸の震災の150倍のパワーだそうだがこの先どんどん被害が増えてくるのだろう。
東京にいる我先輩の前波氏に電話したろころ繋がった。
都内同士はなかなか繋がらないようで、地方からは比較的繋がるみたいだ。
ちょうどその時に検察庁に呼び出されていて(今世間を騒がせている岡本ホ〇ルの当事者だ!)歩いて帰っている最中だった。
テレビで言っているとおり交通がストップしており難民となり歩いて帰宅しているのだそうだ。
幸い身内も無事だったそうで一安心といったろころだ。
阪神の時は被災者で避難所を開設し運営していたこともあり、ノウハウは知っているのでいざとなれば行かなくてはならないのか!
当時は全国からの支援、救済を受け感謝の気持ちでいっぱいだった。
次にどこかで大震災があれば駆けつけようと思っているのだがまだ時期尚早だろうか。
しかし今回は昼間だったこともあり阪神の被害を上回ることは間違いないだろう。
ヘリでも所有していればそれこそ飛んで行きたい気持ちである(::)
とりあえず何か出来ることは無いだろうか?

先日知り合いのお店で食事会があったので参加させてもらった。
場所はJR六甲道駅のすぐ北側にある「グランパ」という洋食&バーです。
そこは手作りのハンバーグやマスター出身地熊本の専用醤油で食べさせる馬刺しが美味しく、大のお気に入りです。
画像はイチオシ馬刺しをなぜかサービスショットで紹介してくれたユウコさんです。

昨日は兵庫東山にある地鶏焼き鳥「まっくす」に行き久しぶりの食事をした。
脂肝刺し&ご飯は私の定番のスタミナセット!
これを食べるとパワーが出る。
他には背肝、皮、ミンチ、モモの串焼き。それに手羽先!
この品々は絶対譲れない定番メニューだ。

お祝い事などの時には神戸のベイサイドのあるポートタワーが彩られます。
今回は雛祭りということで菱餅の色です。

甘いものは辞めたと決めたとたんにおすそ分けだとケーキをもらった。
最近体重が増えて体も重く、野球しても走れなかったりで今日から辞めたと決めたのだが「少しだけ持ってきたよ」と・・・。どこが少しなんだろうか?
断る根性も無く、明日からに変更し一気に食べてやった(−−)
もう少し暖かくなったらサーフィン行くのにウエットスーツ着られなくて苦しま無いように・・・。
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