この1週間は怒涛すぎた…

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大変お久しぶりです!
久しぶりのブログ投稿なのに、東日本大震災の話題となってしまいました。ブログル仲間のみなさん、友達、仕事仲間、親戚…多くの方々から安否を気遣うメールが届き、本当に励まされました。この場をお借りして感謝申し上げます。

題名のとおり、この一週間は怒涛すぎました。今でも気持ちの整理がついていない部分もありますが、記録として残し、皆様にも今回の惨事をお伝えすべく、以下に書きたいと思います。

【11日】
9日〜11日は福島県南相馬市へ出張でした。南相馬市から仙台行きの電車に乗り「さあ帰るぞ」というとき…発車3分前に地震が起きました。経験したことのない大きな揺れに何もできませんでした。と同時にかなりヤバイことになると容易に想像できました。
揺れがおさまってから電車を降り、駅構内に待機してました。駅の壁や瓦は剥がれ落ちていました。そして数十分後に津波が押し寄せてきました。かなり目の前まで来ましたが、幸いにも駅までは届きませんでした。
4時間ほど経ってから、波が引いたことで、先ほどまで滞在していた会社の施設へ避難しました。しかし、避難までの道中は悲惨でした。南相馬市では1800世帯が壊滅していました。
会社の施設も停電&断水、また建物の損傷も至る所で散見されました。横になって眠ろうとしましたが、10分おきに余震が続き、寝れませんでした。

【12日】
仙台方面に職場がある、または実家がある人を対象に会社のバスで向かうことが決まりました。半分くらいの避難者が乗り込み、情報も入らないままの危険な移動でしたが、全員無事についたと数時間経ってメールが入りました。私は、職場は新潟、実家は福島県郡山市ですので、ここでもう一泊することになりました。
午後になり、昨日の2倍級である15メートルの津波が押し寄せると再び警報が出されました。私は最上階に逃げました。幸いにもこれは誤報で済みましたが、これが本当だったら…と思うとゾッとします。
しかし、ホッとしたのも束の間、福島第一原発の1号機が爆発しました。会社施設は原発から半径22kmですので、生きた心地がしませんでした。放射線量も1000μシーベルト超を数時間放出していたようですが、これはCTスキャン一回分程ですので、異常はないでしょう。ただその情報が入ってきたのが随分と後だったので、爆発したニュースを聞いたときは一瞬覚悟を決めました。

【13日】
朝新潟行きの車がなんとか手配でき乗り込みました。福島市を経由し、郡山市〜会津若松市〜新潟市と来ましたが、郡山市あたりまでは結構な被害でした。
新潟市に着いてからは祖父の葬儀に出ました。実は、出張の前日、祖父が亡くなりました。出張に行くべきか迷いましたが、通夜と葬儀が土日であることと親戚に無理を言い、仕事を選びました。葬儀も最後の30分しか出れませんでしたが、なんとか間に合いました。
葬儀が終わり、実家の郡山市へすぐに向かいました。というのは、母が一人残されており、精神的に疲労困憊していたからです。実家は多少の損傷はあるものの大きな傷みはなく、大丈夫でした。母も無事でした。この日は滅茶苦茶になった部屋を整理して寝ることにしました。

【14日】
郡山から新潟へマイカーで戻りました。ガソリンは幸い前の週に満タンにしていたので良かったですが、この170kmの間、開いているスタンドは2件でした。
職場に戻り、報告をし、「明日石巻へ行ってくれ」と指令を受けました。

【15日】
宮城県石巻市へ向かいました。郡山市以北は道路の損傷も激しく、通行止めの箇所もたくさんありました。東北新幹線の高架橋も歪んでおり、復旧には相当の日数が必要であることはすぐにわかりました。また、途中の仙台市では変わり果てた街を見て涙が出そうでした。
しかし、石巻はさらに酷い状況でした。言葉にできない惨状でした。道路の陥没、冠水、停電、断水、窃盗…まるでテレビで見た空襲後のようでした。
石巻では車中泊でした。ガソリンの調達の目途が立っていないので、エンジンを切りましたが、寒すぎて全然寝れませんでした。

【16〜17日】
引き続き、石巻で仕事をしていました。この2日は真冬並みの寒さで吹雪でした。夜は−4℃でした。凍え死にそうでした。
そして、17日の夜、無事に新潟へ戻りました。

今こうしてブログを書けていることが不思議なくらい、この一週間でいろんな経験をしました。私は悪運が強かったため、すべてギリギリでかわしましたが、未だなお行方不明者は大勢おります。また、避難所で不便な生活を余儀なくされている方も大勢います。

とりあえず今は新潟にいますが、また4月に被災地へ復旧隊として入ります。それまでに少しでも良くなっていることを祈って、前進していくのみです。

日本全体が気の抜けない事態へとなっていますが、できることを一つ一つ着実にやっていけば、絶対に復興できると信じています。


Dear all of my friends

I appreciate your thoughtfullness.
I and my family suffered a great deal of damage from the recent great earthquake.
When the earthquake occurred, I was in Fukushima prefecture on business.
And when the tsunami came to right before my eyes, I have resigned myself to the situation.
Three days later I could leave a shelter and go home.

My parents's home, some of my friend's home were broken, but all of them are allright.

Japanese people were face to face with great difficulties.
Please pray to God that Japanese people recover from the disaster.

Thank you very much, and I wish you good luck!!

birdy birdyさんからコメント
投稿日 2011-03-20 14:26
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お見舞い申し上げます。

安易な言葉しか出てこないので…<(_ _)>
ご無事で何よりでした。
これからも気をつけて頑張ってください。
七色いんこ 七色いんこさんからコメント
投稿日 2011-03-20 14:39
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まさかこんなことになるとは誰も想像してませんでしたよね…そして自分が被災者になるとは…。

でも無事でよかったですよ。被災者のために少しでも力になれるようこれからもがんばります!!
プランのママ プランのママさんからコメント
投稿日 2011-03-20 15:31
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いんこさん、本当におつかれさまでした。

自分の目の前に起きた事をこうして綴られて、私たちに知る事のないようなところに足を踏み入れ、全力で頑張っていて。。。
本当に、無事でなによりでした。

がんばってくださいね。
自分たちにできることを少しでも協力したいと思ってます。
立ち上がり、前を向いて歩き出した東北、いえ日本ですもんね。
七色いんこ 七色いんこさんからコメント
投稿日 2011-03-20 15:40
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励ましのメールありがとうございました!
救われた命、これからは被災者のために尽力していきます。

一つ一つ着実にゆっくりでいいから、できることを私たちも考えて実行していかなければなりませんね。
shino shinoさんからコメント
投稿日 2011-03-20 19:59
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ご無事で何よりです。

また、4月から復旧作業に参加されるとのこと!
お気を付けください。

何かできることがありましたら何でもお手伝いしますよ。
遠慮無く連絡ください。
七色いんこ 七色いんこさんからコメント
投稿日 2011-03-21 09:59
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ギリギリかわしました!悪運が相当強いようですね私は…笑。

4月からも頑張ってきます。
ありがとうございます。みんなでできることをひとつひとつ実行していけば大丈夫だと思っています。
Toshiaki Nomura Toshiaki Nomuraさんからコメント
投稿日 2011-03-20 23:26
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大変な経験をされたんですね・・・。

まだまだ気の抜けない状況が続いてます。
どうぞ十分気を付けて行動してください・・・。
七色いんこ 七色いんこさんからコメント
投稿日 2011-03-21 10:00
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ちょうどそんなときに出張でしたからね…びっくりしました。

ありがとうございます。4月からも頑張ってきますよ!
T.Mori T.Moriさんからコメント
投稿日 2011-03-21 01:55
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お元気ですか?どころではなかったですね。
本当にお疲れ様です。
この行動力、すごいです。頭が上がりません。
くれぐれも、体を壊さないように。
七色いんこ 七色いんこさんからコメント
投稿日 2011-03-21 10:02
URL

気が張っていて体調どころではありませんでしたが、新潟着いてからはちょっとだるいですね笑。
昨日今日とゆっくり休めるので、次の出番までに体力をつけておきます!