本にはアルプスと呼ばれる山脈が三つある。
一般的に「南アルプス」「北アルプス」「中央アルプス」
この三つが日本アルプスということになる。
この三つの山脈を年齢順に並べてみると、
「北アルプス」「中央アルプス」「南アルプス」という順番になるそうだ。
日本で最も大きな山脈である「南アルプス」が一番若いことになる。
しかもいまだに成長し続けてるということだ(一年に0.4センチほど)
それにしてもこれはちょっと面白い順番ではある。
人間というのは見た目の雰囲気というのがある。
この見た目の雰囲気というものから言ってしまうと、
「中央アルプス」「北アルプス」「南アルプス」・・・。
こういう年齢順に落ち着いてしまう。
なぜだろうとここで説明するまでもなく、
「南アルプス」をご存知の方はその雰囲気から、
「南アルプス」が一番年齢が上との印象を持って当然だと思う。
「南アルプス」という呼び名は三つの山脈を総称している。
そのうち「仙丈ヶ岳」から、
「三峰岳」「塩見岳」「荒川岳」「赤石岳」「聖岳」へと、
つながっていく山脈を「赤石山脈」と呼ぶ。
そして「北岳」「中白峰」「間ノ岳」「西農鳥岳」「農鳥岳」を白峰山脈。
「鋸岳」「甲斐駒ヶ岳」「早川尾根」「鳳凰三山」を甲斐駒山脈
この三つの山脈を合わせて「南アルプス」と呼ぶ
実に「南アルプス」の山容は巨大であり、
悠揚迫らざる迫力がある。
一番年齢が上ということである「北アルプス」の印象はどうだろう。
その山容は総じて鋭角的であり、
岩山であるがゆえに言われなき少し腰が軽い印象を受ける。
実際に登るとそんなことは全くなく険し山なのだが・・・。
写真から受ける印象が強いのかもしれない。
「北アルプス」の見せるその姿は変化に富んでいて見るものを飽きさせない。
一言でくくってしまえば別嬪さんということになるのだろうか・・・。
「南アルプス」には残念ながら別嬪度では北に譲ることにもなるだろうか・・・。
しかし、別嬪度では北に譲るとしても、
「南アルプス」にはそれとは違うもっとひきつける雰囲気がある。
その一山ごとの巨大な山容。
どっしりとした落ち着きのある雰囲気。
深い緑に覆われた山肌。
森林限界が高いこともあって、
登っていてもなかなか視界の中に雄大な景色というのは入ってこない。
これは南アルプスを構成する山々はみな似たような印象がある。
ここが北アルプスとは大きく違っているところだ。
登れども一向に開けない展望・・・。
かなりの高度を稼いでようやく広がる大展望。
実はこれがいい・・・。
深い森林の中を息を切らせながら喘ぎ喘ぎ登ってパッと開ける大展望。
ベートーヴェンの交響曲第九番の合唱が始まる時のような、
一瞬の緊迫感がある。
そしてその大展望は頂上に着くまで途切れることはない。
「南アルプス」の盟主「北岳」
この山は日本で富士山に次ぐ第二の高峰だ。
この山はまた見る角度によって大きくその山容を変える。
早川尾根側から見ると大きくよじったようなスタイルを見せる。
鳳凰三山から眺めると巨大なお椀をかぶせたように見える。
このあたりではそれほど際立った魅力というのは見せない。
もっと違うところまで登って来いってことのようだ・・・。
小太郎尾根側から見てもドンとしたでかい山という印象だ。
これが「中白峰」まで登ってみるとガラッと雰囲気を変える。
優美な曲線が頂上まで続く・・・。
富士山を思わせるような魅力的な優美さを誇る曲線だ。
頂上も鋭く二つの三角錐に割れている。
遮るもののまったくない中でその優美さを誇っているようだ。
しかし、その優美さをさらに磨きをかけて見せるのが、
「西農鳥岳」から見る「北岳」だ。
「中白峰」からだと少し頂上から鈍角に広がる曲線も、
「西農鳥岳」からだともう少し鋭角的に裾に広がっていく。
要するに腰が細くなっていくということだ。
これだけ優美な姿を持ちながら、
ここまで登って来ないとの姿を見せることはない。
深窓の麗人ということなのだ・・・。
「白峰三山」のうち「小太郎尾根」からだと、
党の「北岳」を越え、「中白峰」を越え、
「白峰三山」の中でももっとも巨大な山容を誇る「間ノ岳」を越えて、
息も絶え絶えにする急登を要求される「西農鳥岳」を登り詰めて、
ようやくその優美な姿を見ることが出来る。
本物の美人を見るのはこれがなかなか太変なのだ・・・。
この姿が一番印象に残るのではないかと思う。
野性的な表情、どっしりとした悠揚迫らざる雰囲気、
そして優美な曲線を見せる姿。
北岳はどの角度からも飽きさせない魅力に満ちた山といえる。
*写真は中白峰よりの北岳の雄姿。

砂地の急坂を下り始めてすぐに樹林帯へと下山道は入っていった。
砂地がどこまで通づくのかと思っていたが、
樹林帯に入るとほどなくして普通の地面になっていった。
南アルプスは樹林帯が比較的高度の高いところから始まる。
下り始めるとあっという間に景色がなくなるということだ。
こうなると太い木の根や削れた段差を越える単調な下りとなる。
ここから下までかなりの行程が待っている。
なんとも体調の悪さを感じている身としては、
下りの長さを想像するだけで、
ため息とともにがっかりするわけだ・・・。
O部長が後ろからつてくれてるとはいえ、
足取りはなんとも弱々しい感じだ・・・。
鳳凰小屋からの下りの道をどうするのか・・・。
「どんどこ沢」の下りか「御座石鉱泉」への下りか・・・。
「どんどこ沢」の下りは相当な急降下が予想される。
その昔登ったことがある・・・。
ほとんど死にそうになった登りだ。
登りは大変なことだが、
下りでは逆にそれほど苦しくはないだろう・・・、
という結論に至り「どんどこ沢」コースが下りの道に選ばれた。
それにしてもあの急登を下るのは骨だなとため息も出てくる。
樹林帯の道を足取りも重く・・・。
体調からするとやはり重い足取りなのだ。
しばらく下っていくと鳳凰小屋に到着。
ここで少し休憩ということになった。
その昔「どんどこ沢」を登ってきたとき、
この小屋のテント場でテントを張った。
伝説のマッシュポテト事件があったのも懐かしい。
テント場にいたので小屋自体の印象はあまり記憶にないが、
やはり懐かしい記憶はよみがえってくるもんだ。
なんだかこの小屋で一泊したくなった。
「ここに泊まりたいなぁ・・・」と、
一言口を滑らせるともなく言うと、
それはとんでもないという反発の声・・・。
S君の声が一番でかかった・・・。
「下に降りましょうよ」
という意見が大勢を占め結局下山となった。
ま、それも当たり前の当然の意見ではあるのだが・・・。
体調がよくないと常にマイナス思考から考えが始まる。
泊まったところで明日体調がよくなる兆しはなかった・・・。
「どんどこ沢」を下るというと、
小屋の主人はなんとも真顔になり
「あそこを下るのは・・・」と言葉を濁した。
「御座石の方に下ったほうが楽じゃない」
と、一言もらした・・・。
「御座石方面を下る方がいいと思うよ」
と、ダメ押しの一言があり、
御座石鉱泉を目指して下ることに決した。
結果的にこの選択は正しかった。
しかし、この小屋の主人が、
「御座石鉱泉」への下りを進めたのは、
この主人と御座石鉱泉の主人は兄弟であるということが、
けっこう大きな理由だったようだ。
まあ、それはそれで下り道としては正解だった。
小屋のベンチで休んでいると、
少し離れたところを若いお姉さんが歩いてきた。
(え、単独行でこの山に来たのか・・・)
と、ちょっと驚いた。
けっこうベテランでないとやはり単独行では危険がある山だ。
痩せた女の子一人でよく来たもんだと、
思わずカメラで撮影・・・。
カメラに気付いたようでこちらを見たが、
にやりとしてそのまま出発していった。
思わずながらも無断でシャッターをきってしまって、
怒られなくてよかった・・・。
体調がいまいちとはいえこのくらいの元気はあったということだ・・・。
余計な元気ではある・・・。
眺めの休憩の後鳳凰小屋を出発した。
しかし、下りながら息は苦しい・・・。
とにかくこんな体がきつかったことが過去あっただろうか・・・。
ゆっくり下っているにもかかわらず、
すぐに息が上がってしまう・・・。
木に片手をついてゼーゼーしてしまう。
O部長も後ろからついていて、
なんともくたびれる状況だろう。
分かっていてもどうにもならない状況とはこのことだろう。
S君とN君とは一度休憩してるところで顔を見たっきり、
どんどん差がついてしまい、
追いかけることもできない・・・。
笹の生い茂る道に出た。
下るごとに若干植生は変わっていくのだ。
展望もなにもすっかりなくなった道をひたすら下る。
最後に地蔵岳のオベリスクの展望がきく場所に来た。
ほんとにオベリスクの頭の部分だけが見える。
ずいぶん高いところを仰ぎ見るようだ・・・。
こんなところまで下りてきたんだという感慨に一瞬ながら浸った。
それでなくとも遅い下りのこのスピードだと、
じっくり感慨にふけっていると、
夜が来てしまいそうだ。
まあ、トットと歩けという感じだろう・・・。
燕頭山までようやくたどり着いた。
ここは回り中が笹の原だ・・・。
ここが大きな休憩場なのだろう、
ちょっと広いスペースになっており、
ベンチがスペースの隅にしつらえてあった。
どっかと腰を下ろしてしばしの長嘆息・・・。
とりあえずここで半分まで来た。
先はまだけっこう長いのだ・・・。
燕頭山を後にしてまたひたすらという感じで下る。
とにかく少し下ると息が上がってしまう。
「今までそんな姿を見たことがない」
などとO部長に言われながらの下りは続いた。
かなり足元もおぼつかなくなって、
いい加減いやになったころ、
なんと御座石鉱泉が見えてきた。
なんともホッとした感覚が全身を包んだ。
全身を包まれるという感覚はこの歳になるとそうはない。
そういう意味では貴重な体験ではあったわけだ・・・。
途中でいい発見もあった。
道端にキレンゲショウマの咲いてるところに遭遇。
息が上がっているにもかかわらず、
カメラを出し座り込んで撮影。
こういう根性だけは山に登るたびに鍛えられてきたわけだ。
これは貴重な写真となった。
山の出口が近いことが分かると、
気持ちはどんどん急いてくる。
しかし、足は全くといっていいほど動かない・・・。
まだまだ先は長い・・・、
と、自分に言い聞かせる。
すぐ近くまで来ていることはわかっていても、
気持ちを引き締めるためには、
目標はまだ遠いと言い聞かせていたほうがいいのだ。
すぐ近くだなどと思い込んだら足は止まってしまう・・・。
体調の悪いときは特に気を付けなければならない。
いきなりパッと開けて御座石鉱泉に出た。
山道を出た途端座り込みたかったが、
そこはやせ我慢をしてとにかくS君とN君を探した。
というよりO部長の後をついて歩いた・・・。
ようやく御座石鉱泉に到着したわけだが、
結果的にこのコースを取って正解だった。
「どんど小沢」コースを下ったらもっとひどい目にあったろう。
大急登を下ることになるからだ。
急角度の道を下るのはものすごい体力の消耗を強いられる。
果たしてこのコース以上の苦しみになっただろう。
山小屋のおじさんの言う通りにしてよかった。
今回の登山で勉強になったことは、
山行きの前は自重して体調に気をつけろということだ。
今まで何十年の登山歴にはない教訓となった

地蔵岳のオベリスクまでは少し下って少し登って到着となる。
少し登ってというその坂を上るのもどうもきつい感じがする。
からだに力が入らない状況は全く改善されてこない・・・
昨夜の夕食も朝の食事もあまり食べることが出来なかった。
山では一日に疲れを取るには、
夕食をしっかりとるというのは絶対に必要だ。
しっかり食べて寝ることによって、
だいたいの疲れは朝までにとれてしまう。
高度高いの山になればなるほど食事の意味は大きい。
その肝心の夕食をかなり残してしまっている。
朝食もやっと半分くらい食べただろうか・・・。
これでは疲れは取れないばかりか、
その日の行動にも大きく影響してくる。
それほど長くもない少し急な坂を上るにもきつい・・・。
呼吸もすぐに荒くなって持続力も落ちている。
なんとなくこりゃあかなりやばいな・・・、
という気分がどんどん広がってきた。
一つ小さなこぶを登り切って目の前にオベリスクが現れた。
それまでの風景とは一変して砂地が広がっている。
地蔵岳自体は信仰の山として知られている。
その一面の砂地を見ればそれが賽の河原だとすぐわかる。
山頂全体が真っ白な砂で覆われている。
どうしてここだけがこの状態なのだろうと考えずにはいられない・・・。
オベリスク直下に近づいていくと。
小さい石の地蔵が整然と並んで立っている。
水子供養の地蔵だという・・・。
できるだけ天に近いところで供養しようといのだろうか・・・。
少し並んでるという数ではない。
けっこうな数が並んで立っている。
これだけの高度の頂上に立っていれば風雨も豪雪もあるだろう。
しかし、そんな雰囲気は全く感じさせない。
穏やかな表情を浮かべて立っている。
それでも若干ながら首が落ちてしまった地蔵さんも散見された。
まあこの高さの頂上で見れば、
首が落ちたり割れたりの数は少ないと言える。
平地の地蔵さんの方が破損率はタイのではないかと思えた。
背後には何もなく、
空をバックに手を合わせてる地蔵さんを見ていると、
水子地蔵岳になんとなく悲しい気がした。
さて問題はこれから先に進むかどうかの話だ。
地蔵岳の頂上についてしばらく休んでいたが、
この体調を押して先の早川尾根に突入していくかどうかだ。
今日の目的地は早川尾根小屋だ。
赤抜沢の頭から早川尾根に足を踏み込めば、
3時間近くの登りが待っている。
O部長の心配はそこにあった・・・。
どうしようかと自問自答を繰り返していた。
途中にエスケープルートがないわけでもないが、
そこを降りるよいうことを考えて突入するくらいなら、
ここ地蔵岳から降りたほうがいいのではないか・・・。
我慢してなんとか早川尾根小屋までいけるか・・・。
しかし、どうもここまで歩いてきて体調が戻らないことを考えると、
降りたほうが得策かな・・・という気分にkた向いていった。
他の3人は体調も問題なく、
特に先に行って問題が起こるようなこともない。
ここで予定を切り上げて下山するというのが、
どうも後ろめたいのだ。
また今まで何十年という登山歴の中で、
途中エスケープ下山という経験もない・・・。
考えていると気分はがっくりという感じだ。
4人が集まってきてどうするのかと聞かれると、
「降りよう・・・」
という言葉が出た・・・。
「じゃあ、そうしますか」
と、O部長の一言が出た。
この隊の総責任者たるOの一言は重い。
全体の空気は撤退に決まった。
しかし、この撤退が簡単に決められた状況は、
やはり少人数であり同行者が過去何回も登山を共にしていて、
気心が知れていたということが大きい。
これがも3人いて人数が7人以上を数えたら、
我慢して先に出発したと思う・・・。
やはり人数が多くなればなるほど、
整然とした一体行動というのは難しいことが分かった。
撤退を決意させる一人にかかる重責感が違うのだ。
また責任の所在がO部長に完全にかかっており、
山での経験実績も誰も越えるものがなかったことも大きい。
O部長が決めたことは誰も反論する余地がないということだ。
それも撤退の結論が速やかに通った原因といえるだろう・・・。
撤退と決まっても誰にも未練がましい雰囲気というのはなかった。
しいて言えば自分自身が一番未練がましかったかもしれない・・・。
今までにはなかった撤退という下山。
しかしそれほどの責任というのを感じなく済んだのは、
この隊がこれまで登ってきた山での連帯感が大きいと思えた。
貴重な休暇を取って登ってきてるわけだから、
途中撤退というのはほかの隊員には、
まことに不本意な決定となったと思う。
「悪いな・・・」と思いながらも、
先に進む気力体力も失せている自分を感じていた・・・。
これも歳のせいか・・・。
思いたくない出来事となった登山ということになった。
10年前であれば多少体調に齟齬があっても、
登っているちに何とかなっていった・・・。
今回はそうはならなかった・・・。
これも山での学習の一つとなった・・・。
鳳凰小屋に向かって砂の道を下っていくことになった。
下り始めてすぐ70歳前後の老登山者と出会った。
振り向くと、
「アリ地獄のようなんですよ・・・」
と一言つぶやいた・・・。
この末明日名を登ってくると、
確かにある地獄を歩いてる気分になりそうだ。
でもこちらよりはるかにお年を召した老人が、
元気にこの山を単独行で登ってくるんだから、
なんともふがいない自分の状況に、
ちょっとがっくりというところだ。
地蔵岳直下から頂上までは結構きつい登りが続くはずだ。
単独行で登ってくるとは経験者と言えどもなかなかのものだろう。
すれ違いながらなんともしょうもない気持ちになっていた・・・。

箱庭の中にいるような錯覚を感じながら観音岳に向かった。
観音岳の登りが始まるとすぐに苦しくなってきた。
からだ全体に力が入ってこない・・・。
どうもいつもとは違う状況が体に起こっているようだ。
簡単に息が上がってしまう・・・。
一歩一歩が大変なことになってきた。
このくらいの登りでここまで苦しいということは今までなかった。
ほとんど経験したことのない苦しさだ・・・。
どうもいつもと違う体調をO部長に伝える。
ここまで苦しくなるとそのままにもしておけない。
来る前に飲んだ偏頭痛の薬の副作用であろうところから、
胃腸に変調をきたしてるらしいことを伝えた。
ゆっくりと休みながらなんとか観音岳の頂上に立った。
なんだかこれからの行程を考えるとちょっと重い気分にさせられた。
雲海が眼下に広がり、
はるかかなたには富士山が夏の日に輝いている。
まさに絶景だ。
時々雲海が崩れて雲が天に向かった吹き上がる。
いつまでも眺めていたい光景だ。
北岳、間ノ岳は圧倒的な重量感で目前に迫り、
まさに山の風格を見せている。
中腹を流れる雲の影が、
ゆっくりと山肌を通り過ぎていく。
この情景を眺めていると自分が箱庭の中にいて、
景色を眺めているという錯覚からどうしても抜け切れない。
自分自身の存在がいやに矮小化されているせいかもしれない。
ほかの山では感じたことがない感覚だ。
2010年は北アルプスに登ったがこういう感じはなかった。
目の前が北岳、間ノ岳という巨漢に遮られたせいもあるかもしれない。
観音岳を下ると少し長い稜線歩きとなる。
気分的には楽になったが、
それでも体調不良の状態は改善されてこなかった。
やはり若くないなと自覚させられたといっていいかもしれない。
若いときは多少体調が悪くても歩いてるうちに改善されていった。
調子が悪いと言いながらなんとなく途中から笑い話になっていった。
それが今はそれどころじゃない状態だ・・・。
右を見れば八ヶ岳が連なっている。
写真だけは撮影するのだが、
足取りは重い・・・。
稜線をしばらく歩いていくと、
なんと甲斐駒ケ岳が見えてきた。
甲斐駒ケ岳はこの鳳凰三山から見るのが一番かっこがいい。
まるで軍艦が海に浮かんでいるように見える。
がっちりとした姿。
真っ黒い塊が海を進んでるような豪快さがある。
歩くにつれてその姿は大きくなりはっきりと全体が見えてくる。
見る角度によっていいろんな形に見えるのだが、
自分はこの鳳凰三山から見た甲斐駒ケ岳が一番好きだ。
全体があまり急角度ではなく、
丸みを帯びている容姿の多い南アルプスの中にあって、
甲斐駒だけはごつごつした感じで荒々しい雰囲気を持っている。
野武士のような精悍さがある・・・。
以前に黒土尾根から登ったことがあるが、
南アルプスでは珍しいほど岩におおわれている。
北岳から見ると「山」という感じにも見えるし、
戦国武将の兜のようにも見える。
精悍で逞しい山容が甲斐駒ケ岳なのだ。
すぐに地蔵岳のオベリスクも見えてきた。
これがまた不思議な形をしている。
空に向かって突き出した岩の塔なのだが、
先端はチューリップのように少し開いている。
地蔵岳が信仰の山になったのもわかる気がする。
この岩の塔は天に向かった先端が開いているのだ。
信仰の対象になってもおかしくはない。
稜線からの絶景に満足しながら、
また体調のいま一つなのを感じながら、
地蔵岳に向かって稜線を歩いていた。
稜線上の終わりから少し下って、
いよいよ地蔵岳への登りだ。
これがまた観音岳以上に苦しさを増している。
この状況を見ていたO部長が一言、
「地蔵岳の後に3時間の登りがありますよ」と言った。
3時間の登りと聞いていよいよこれは難しいという気分になった。
ちょっと無理かなという感じがしてきた。
目前には地蔵岳のオベリスクが迫ってきていた。

頂上はついてすぐのところは大岩が展望をふさいでおり、
パッと見はどういうところなのかよくわからなかった。
その大岩をよけて歩いていくと、
パーッという感じで目の前に展望が広がった。
しかし、もう時間も遅く雲が出ていて回りはすでに見えなくなっていた。
頂上はそれまでの登山道の雰囲気とは全く違っていて、
白い砂で覆われていた。
土の登山道から頂上が砂に覆われていると、
はちょっと想像外という感じだった。
登山を始めたころここにきているのだが、
これほどの砂という記憶はなかった。
頂上に立ってみると、
船の舳先に向かっているような感じで、
だんだん細くなっていく感じだ・・・。
「面白い形だな」と横目で見つつ小屋への道に入った。
小屋への道は這い松に両脇を囲まれており、
細い下りの道だ。
少し時間がかかって降りていくと、
パッと道が切れて小屋の前に出た。
S君とN君は先行していてすでに到着しているはずだ。
二人と合流してビールで到着祝い・・・。
結局彼らより一時間遅れになったようだ。
到着予定時間からも一時間遅れとなった。
なんとも不甲斐ない時間ではあるが、
どうも体調の悪さを象徴している時間だ。
自分でもどうもしっくりこないことを感じていた。
夕食は6:00からということであまり時間もなく、
ビールを飲み終わったところで夕食に向かった。
自分はいつもコーラを飲むのだが、
全部飲むことはできなかった。
小屋の中に入って少し荷物を整理したところで、
食事の準備ができたということで食堂へ向かった。
なんだかボーっとした状態でお腹もさしてすいてる感じでもない。
テーブルに座ってもなんとも食べる気がしない・・・。
鼻水が容赦なく出てきて、
前に座ってる若いカップルがいやな顔をしていた。
そういう状態に敏感に反応して、
対処する感覚もなんだか失っている感じだ。
食事にも箸をつけたが全部は食べられず終わり・・・。
これはもう不調ははっきりしてきていて、
なんとなくやばいなという気分になってきた。
しかし、今まで少しくらいの不調は、
一晩寝るとだいたいどうにかなってきている。
今回もその程度と半分たかをくくっていた。
翌朝は普通に目覚めて朝食に向かった、
食堂に入るところで小屋の台所の中が少し見えた。
それほど大きくない小屋でも朝食の準備は大変そうだ。
忙しそうに動き回っていた。
朝食もどうも今一つという気分で、
あまり箸が進むという感じではなかった。
やはりどうも体調はいま一つのようだ。
ザックの中身を整えていよいよ出発だ。
小屋から昨日通ってきた道を頂上へ向かう。
歩きはじめるとどうも今一つの気分だ。
なんということもない傾斜の道なのだが足が重い。
それでも道のりは短いので頂上に到着。
昨日は午後も遅くなっていて雲が出ていて、
まったく展墓はなかったが、
今は目の前に白峰三山の大展望が広がっていた。
頂上一帯は白い砂で覆われており真白くなっている。
これは登山道を思い出すと不思議な感じがした。
これほど頂上の景観が変わるというのは、
この鳳凰三山独特のものだろう。
いろいろ登ってきたこういう景観を呈すところは経験がない。
ここから見る白峰三山はほんとにでかい。
壮大な風景が目の前に信じられないくらい近くに広がっている。
写真にはずいぶん撮影したが、
回りから切り取られたような場所にいる感覚、
この見て感じる空間の感覚はそこにいたものでないとわからない。
あの大風景の中で自分が浮かんでるような感覚というのだろうか・・・。
孫悟空もキントン雲に乗ってこんな景色を見たのだろう・・・。
目の前の北岳はなんだか作り物のような山に見える。
なんだろう・・・。
これも不思議な感覚だ。
なんだか箱庭にいて作り物の北岳を見てるようだ。
綿で作ったような白い雲が北岳の山肌を通り過ぎていく。
ここはいったいどういう世界なんだ・・・。
そんな感覚に支配されてどうも現実感がない・・・。
普段の自分の感覚と一致しないのだ。
頂上ではピンク色の高山植物が咲いていた。
これがなんという名なのかいまだ調べてない。
背の高い岩が点在していて、
頂上の中ほどに岩が固まっていて少し盛り上がっている。
そこの下にピンクの高山植物は咲いていたのだが・・・。
いよいよ次の目的地観音岳に出発となった。

今年登った燕岳の登り口などはきれいな建物がありベンチもある。
なかなかシャレた雰囲気が登り口にある。
しかし、南アルプスとなるとそうはいかない。
なんだか山に分け入るようなイメージ・・・。
延々と樹林帯を登っていく感じだ。
頂上直下にでも行かないと樹林帯は切れない。
特に鳳凰三山は高度が白峰三山より低いこともあって、
頂上ぎりぎりまで樹林帯が続いた。
歩き始めはそれでもそれほど厳しい登りということはなく、
まあ、和気あいあいといった雰囲気の中で表情も穏やか・・・。
それでも太い木の根がむき出しの状態で出てきたり、
えぐれて段差になっているところが出てきたり、
道は徐々に険しさを増していった。
昼ごろになってS君が後ろから早くとせかせるようになった。
自分ではそれほどゆっくり歩いてるつもりはないのだが、
どうもかなりペースが落ちてきていたらしい。
「ゆっくり行かせてください」と一言で出たが、
「これだけ遅いと逆に大変だろうから先に行ったら・・・」
と、O部長の一言が出た。
(ハッ・・・そんなに遅くなってるんだ)
なんだかよくわからない感覚ではあった・・・。
ここでS君とN君は先に登り始めた。
その後をO部長と登り始めたが、
どうも足が上がらない・・・。
しかもすぐに息が上がってしまう。
悪夢の三歩に一歩の状態が訪れてきそうな気配だ。
小刻みに休みを取るようにして、
バテきらないように気を付ける。
無理押しして登って体力を使いきってしまうと、
これこそ遭難でもしかねない・・・。
そのあたりそれなりに長い登山の経験が生きていた。
足が上がらなくなると、
どうしても一本の歩幅が広くなっていく。
無意識のうちに高度をかせごう、
という意識がはたらいてそうなるのだが、
さして効果はない・・・。
その状態が続いてくると、
すかさず「歩幅を縮めてくさい」
とO部長の一言が背後から飛んだ。
まあ、わかっちゃいるのでありますが・・・。
なんだかいつもに比べるとなんだか異様に苦しい・・・。
このコースは直登コースであり当然角度もきつい。
しかし、それにしてもこれはなんだか異常だ。
コースの半ばを過ぎるころから体調の不具合を感じ始めていた。
体調が悪いと言って、
引き返すこともできないわけだから行くしかない。
3000メートルの頂まではまだまだ長い。
とにかく息がすぐに上がってしまうので、
小刻みに休憩を取っては進んだ。
御座石のところまで来た。
ものすごい大岩だ。
ここから1:30と標識に書いてある。
1:30がもう少しだなんて思ううと痛い目に合う。
山の登りの1:30は強烈に先はまだ長いことを物語っている。
それでも何とかここまでくれば、
行き倒れることなく頂上へはたどり着けそうだ。
深い樹林帯に囲まれた道は、
ホッとする風景の端っこも見せない。
道は険しさを増しており、
土がえぐれて階段状の登り、
木の根をまたぐように登る悪路・・・。
まさに息も絶え絶えとはこのことだな。
いつ果てるともわからない登りも少し砂地が出てきたり、
這い松が出てくると頂上がすぐそこだとうことを教えてくれる。
いきなり目の前に岩が現れ目の前が開けた。
どうやら頂上にたどり着いたようだ。
いやはやこれほどホッとした瞬間もない。
苦しい登りというのは過去にもないこともなかったが、
今回はどうも体調から来ているのでちょっと厳しかった。
岩の上に座ってしばし休憩。
ここまでくればとりあえず小屋では特に心配もない。
16:58
頂上到着だ。

午前4:00.
目覚ましが鳴って目が覚めた。
いよいよ出発の朝が明けたということだ。
起きてまず顔を洗う。
これだけ早朝に起きkる十いうことはまず普段ない・・・。
さすがに頭にすぐには血が回ってこない感じだ。
まずザックに入れ忘れがないかチェック。
忘れるとどう見ても誰も届けてくれることはなさそうだ。
まあ、当然か・・・。
デジカメ、お金、眼鏡、水・・・。
すべてチェックして少し時間が余った。
壁に寄りかかってボケ〜ッとする。
なんだかまだ頭に血が登ってこない感じだ・・・。
4:50分いよいよ靴ひもを締めて出発。
外に出ると白々あけてきた空と、
まだ暗闇の名残の残る街中との対比が微妙だ。
車も人もほとんど通らない・・・。
自分が住む同じ街とはとても思えない風景だ。
山に出発するたびに持つ感慨ではある。
ホームに登るとまだ人もまばら・・・。
しかし、電車の時間が迫ってくると一気に人が増えてきた。
こんな早くからこれだけの人が出てくるんだと思うと、
ちょっとびっくりだ・・・。
5:15分久喜行きの電車が静かにホームに入ってきた。
ザックの大きさをちょっと気にしながら座席に座る。
北岳行きの時のような事故の放送が入るかどうか、
ちょっと気になった。
一度あのようなことが起こると、
やはり座ったとたんにあの放送がよみがえる・・・。
しかし、今回は列車の事故の放送は全く入らなかった。
まあ、あのようなことはちょくちょくおこることでもないのだが・・・。
少し早めに新宿駅に到着。
さすがにメンバーの誰も来ていなかった。
O部長とN君と集まってきて、
いつものように一番遠いS君がぎりぎり到着。
7:02特急あずさに乗り込む。
いよいよ中道登山に向かって出発となった。
まあ、男だけのパーティーというのは言葉は少ない・・・。
まず記憶に残る会話というのもない・・・。
断続的に取り留めもなくがぴったりの表現だろう。
それでも不快感は全くわかないのがいいところだ。
こういうところにおばさんが混じると、
いきなり会話が華やかになるから不思議だ。
男と女・・・別々ってことがよくわかる瞬間だ・・・。
余計なことを書いているうちに特急あずさは、
「韮崎」に到着だ。
ザックを荷台から降ろして両腕で抱える。
出発の時もったより重く感じるのがいまいちだ。
いよいよという緊張感が神経を敏感にするのか・・・。
たんに歳とともに力瘤が小さくなっているだけのことなのか・・・。
列車を降りて改札口を出ると、
少し狭い感じの駅の前庭が眼前に広がる。
芝の盛り土の上に、
サッカーボールを今にも蹴ろうとする少年の像がある。
韮崎商業高校サッカー部に由来するらしい・・・。
詳しいことはいまだわからない・・・。
8:56タクシーに乗り込む。
メンバー四人で後ろに三人とちょっと窮屈ではある。
タクシーは「中道登山道入り口」に向かって走り出した。
韮崎の街並みがしばらく続く。
この辺りは高いビルというのはない。
そのためなのか空が広く感じる・・・。
街の風景から次第に家がまばらになり、
草深い・・というほどでもないが、
徐々に田舎の風景へと移っていく。
如何にも人里離れた雰囲気になってきて、
登山道入り口に到着した。
この風景の変化も眺めていると結構面白い。
何度山に登ってきてもこの風景の変化は変わらない。
当然といえば当然だが、
普段変化のほとんどない街の風景に慣れてしまっていると、
この変化はかなり貴重なことなのかもしれない・・・。
都会の空気感とはまた違った空気感が、
新鮮な気分にさせるのかもしれない・・・。
とにかく自分という存在をかなり意識する瞬間なのだ。
人里離れたところに登山入口はある。
いよいよ逃れられないところに立ったわけだ。
ま、若干緊張感があるのかなんとなく無口になったりする。
男だけのパーティーだからそもそも話はしないのだが・・・。
ザックのパッキングを確かめて、
日焼け止めをほかの目から見ると異常なくらいしっかり塗り込む。
山の紫外線は強烈なのだ。
歳とともにシミっぽくなってきた顔のお肌のためにも、
この作業は手を抜くことは許されない。
特に忘れやすい鼻の頭は要注意だ。
以前、鼻の頭に塗るのを忘れて、
山から下りてきてしばらくして鼻の皮だけが剥けて、
ちょっとカッコ悪い思いをした・・・。
歳いってから見せる顔の造作じゃないということだ・・・。
皮が剥けてしかもヒリリと痛かった。
全員の準備が整った。
9:55出発前に写真を一枚全員で撮影。
いよいよ「中道登山道」への一歩が踏み出された。

登る先が決まって、
とりあえず山に向けてのジョギングを少し強化した。
どう見ても厳しい急登が待っていることは容易に想像できる。
夜叉人峠からだとだらだら登っていくルートだが、
この中道登山道は直に薬師岳の頂上を目指すコースだ。
単純に考えてもかなりの急登が待ち構えてることは確実だ。
週二日のジョギングを週三日まで増やして、
距離も徐々に伸ばしていった。
7月が終わって8月に入るころ、
ここでジョギングを終了しようかどうしようか迷う・・・。
あまり直前まで続けていると、
結局、疲れが残ってしまい、
かえってマイナスだと考えが浮かんできた。
登りだしてから辛くなる可能性ありだと考えた。
結局、8月に入ってからはジョギングをそこで中止した。
もう少しという思いもあったが、
やはりここは足の筋肉を休めるほうがいいと判断したためだ。
8月に入るとすぐに夏休みに突入した。
登山までは少し日数があるので、
ここで普段読まないで積読状態の本をまとめて読むことにする。
朝から読み始めて結構熱心に読み続けた。
「ローマ以後の地中海世界」塩野七生の本だ。
ほぼ読み終えたところで偏頭痛が起きた。
熱心に読みすぎたということだろうか。
この時は朝からすでに痛みがあり、
夏休みに入ってすぐ内科に行って、
もらってきた偏頭痛の薬を飲む。
以外に重傷な感じで一回の服用では治りきらず、
お昼にまた飲んだ・・・。
これでとりあえず痛みは収まった。
しかし、もらってきたばかりの薬のせいか結構強力に感じた。
偏頭痛は治ったもののどうもお腹の調子がいまいちになった。
この薬を飲むと時々この症状になる。
だいたいほっとけば治っていくのだが、
この時は二日後の登山に出発という事態が待っていた。
二日あれば何とかなるかな・・・と若干軽く考えていた。
後になってこの状況が、
どういう事態を引き起こすかまでは考えも及ばなかった。
次の日になっても、
どうもお腹の張った状態は改善されていない。
ここで「ちょっと大丈夫かな・・・」
という不安が頭をもたげてきた。
次の日、出発の前の日。
お腹の状態はかなり改善していた。
これならなんとか持つかなと一安心だ。
今までもちょこちょこいろいろなことがあったが、
だいたい登り始めるとどうということもなく済んでいる。
この時もそれほど重大事とは思わなかった・・・。
登山の準備に少しづつとりかかる。
夏山はもうある程度習慣的に準備をする。
毎年繰り返され〜10年だ。
そう間違えるということもない・・・。
最初に登った時とはだいぶ装備もよくなっている。
最初はトレーナーで登っていた。
靴なんか一回いきりだと思ってたから簡単のものだった。
いわゆる「キャラバンシューズ」というやつ・・・。
今の靴で三代目だ。
何万もする登山靴に変貌している。
Tシャツも三枚1000円のものを長らく着ていたが。
撥水性がないから汗で休憩のたびに震えるほど体が冷えた。
今は、一枚7000円の山用のTシャツだ。
これは撥水性が抜群で汗は瞬時に乾く。
ずいぶん楽になったもんだ・・・。
雨具も最初はエントレントという、
ゴアテックスの簡易版を使っていた。
遭難しても発見しやすくするために真っ赤。
今は由緒正しきゴアテックスだ。
色は普通のものだ。
遭難なんかするわけないという、
いつの間にかの甘い考えの結果だ。
スラックスも最初のトレーナーの下から数えて三枚目。
ウェストが太くなるたびに買い替えてる感じだ。
だいぶ不経済だ・・・。
転落を経験してからメガネの替えを必ず持っていくことにしている。
眼鏡なしではとても山道は下れない。
しかし、何かあればメガネの紛失もありうる。
これは必需品になった。
あとは日焼け止めだ。
山の紫外線は半端でないのでこれも必需品だ。
なんだかんだでザックは40リットルのザックになる。
このザックも三代目だ。
初代はカリマー、二代目はICIスポーツオリジナル、
今はメーカーは忘れたが最新鋭だ。
やはり使いやすい・・・。
中道登山道の上りの厳しさを考えて、
重量は極力軽くなるよう気を配った。
いよいよ早朝、5:00前に出発だ。
4:00起床と目覚ましをセットした。

この山行の記録は、2009年の記録である。
今回の登山計画は、
どこを登るかで若干時間がかかった。
前年に「白峰三山」を縦走し、
前々年に「穂高連峰」を縦走したこともあって、
若干ながら出尽くし感があったことは否めない。
「穂高連峰」「白峰三山」といえば、
南北日本アルプスの盟主といえる山群だ。
ここを縦走することは日本の屋根を走破したことになる。
そしてじゃあ次となると、
なかなかいい山の名前が出てこない。
それなりの山というとやはり距離的なものが問題になる。
遠くなれば夜行明け登山ということが出てくる。
夜行列車は全く睡眠がとれないので今はやりたくない。
そうなるとどこにするかという話になるのだが、
具体的な話になるとどうも話が進まなくなってしまう。
リーマンショックもあり、
今回はできれば比較的近場の南アルプスという話も出るのだが、
じゃあと言ってこれという山の名前が出てこない。
O部長と話すたびにいろいろ名前は出てくるのだが、
これだ!という決定打というのは出てこない・・・。
「聖岳」「赤石岳」「仙丈岳」・・・。
「甲斐駒ケ岳」を北沢峠から登る・・・。
ここは「黒戸尾根」からは登ってしまっている。
そこで逆ルートからとなるわけだが、
なんかいまいちのムードが強い。
「う〜〜〜ん・・・どうしようか」
・・・なかなか決まらない。
結局、一番手頃な「鳳凰三山」はどうかという話が出てきた。
南アルプスの主稜線から見ると、
明らかに前衛の山群であり、
「白峰三山」からするとだいぶこじんまりした雰囲気だ。
「夜叉人峠」から登るかという話になると、
どうもいまいちの感が否めない。
この鳳凰三山は登山を始めて、
最初にアルプス系の山ということで、
登山に回目にして登った山だ。
夜叉人峠からは反対の「どんどこ沢ルート」から登った。
この時のことを書けばまたかなり面白い山行記になるのだが、
まあ、今回は脱線せずに本筋で行きたいと思う。
「夜叉人峠ルート」は結局手詰まり感があって却下。
そうこうしているうちに、
O部長から「薬師岳直登ルート」があると話が出た。
そのルートというのは全く知らなかった。
「薬師岳」直登というとかなりの厳しさが予想された。
「鳳凰三山}の中でも中核をなす山だ。
その山を直登するルートがあるという。
O部長は登ったことがあるという・・・。
しかし、どう考えても厳しいルートであるということは、
容易に想像できた・・・。
しかし、このルートを否定してじゃ別のと言われると、
それももうすでに出尽くしている。
若干不安な気分も尾を引いたが、
未知のルートという興味もあって賛成ということになった。
この登山が山の怖さを思い知らされる登山になるとは、
その時点で思いもよらなかった。
2009年、8月14日出発。
鳳凰三山「薬師岳」直登ルートと決まった。
>クリックで地図が大きくなります<

縦走をしてきて汗にまみれた体を、
温泉の浸す時の快感は普段では絶対にない。
五感を駆使して登って降りてきて感じる温泉の湯には、
皮膚が敏感に反応する・・・。
普段風呂に入っていてそんな皮膚感を持つというのはほぼない。
空気感の平地から高山への変化。
気温の変化、気圧の変化・・・。
大きく変化する中に身を置いてきて、
感じるこの感触は得難いものがある。
またきわめて大きな快感でもある。
こういう経験がインプットされていて、
下山と共に温泉が迷うことなくイメージに出てくる。
計画を立てる時も下山した後の温泉をまず目星を付ける。
これは結構真剣マジになるからすごい。
この奈良田温泉にははじめて来たが、
話のとおり秘湯という雰囲気があった。
数件の温泉宿があり、
回りにはなにもない・・・。
普通の温泉街を想像すると地味な雰囲気だ。
温泉宿も大きい建物はない。
交通に便がいいとい場所柄でもないから当然か・・・。
南アルプスの懐に抱かれてと言う表現がやはり似合うようだ。
温泉に入って体を洗い湯船につかる。
このお湯の感触がまたいい。
どんな泉質かは忘れたが、
お湯に沈むごとに体の緊張感が溶けていく・・・。
やはり3000メートルの山の上を歩いてる時は緊張してるのだ。
下りは特に苦しい部分がある。
景色もなく足への負担をただ我慢している。
この気分の委縮が一気に解放されるのだ。
温泉いいとこ一度はおいで・・・、
この一言はこの瞬間が一番身にしみる言葉だ。
転落して髪の毛に詰まった砂を洗い流し、
汗を洗い流し一皮むけたような気分になって、
出てくるとコーラ・・・。
他のメンバーは当然ビール・・・。
ここでゆっくりと思っているとタクシーが来てしまった。
予定ではもう少し時間がかかると思われていたが、
おやおやってな感じで来てしまった。
そうなると少々慌てて乗り込むしかない。
乗り込むと即発車・・・。
山間の風景がどんどん過ぎていく。
いよいよおさらばだな・・・、
という感覚が強くなる時だ。
高度もどんどん下がるから耳の聞えがちょっと変になる。
気圧が急激に変わるため耳の対応が遅れるからだ。
こちらの気分とは関係なく車はどんどん走っていく。
途中、甲斐駒が見えたりすると、
妙に懐かしく感じる。
この縦走がもうちょっと遠くなった感覚になるから不思議だ。
駅についてザックを下す・・・。
ちょっと気だるくなった時間だ。
他のメンバーはビール片手に列車に乗り込む・・・。
水分が大量に出てしまってるからいくらでも入るという感じだ。
そこはとても付き合えない・・・。
列車は一路東京に向かって走る。
八王子がメンバーが散開する分岐点だ。
新宿方面と横浜方面とにだ・・・。
中央線からは甲斐駒がよく見える。
南アルプスの荒武者だ。
次第に夕暮れが迫ってくるころになると、
信州の山も見えなくなって、
普段の生活の場が徐々に身近になってくる。
この感覚は何十年の山旅の終わりと変わらない。
山から列車が遠ざかるとともに、
今までの白峰三山の縦走が、
もうずいぶん遠くに感じるから不思議だ。
夢の中の出来事だったような感覚がどうも不思議なのだ。
日常が近づくにつれて感覚が入れ替わっていくのだろう・・・。
この遠くなる記憶をまた引き寄せるために、
また登るという感じがどうも当たってる・・・。
八王子に着いて打ち上げの宴を持つ・・・。
ここでまたちょっとしたハプニングが起こった。
これまた全く想像外の出来事と言っていいだろう。
乾杯をして箸が動き始めたとたん・・・。
N君はある水族館の獣医さんをしているのだが、
奥さんから自分の携帯に電話が入った。
声が完全に普段とは違う・・・。
どうしたんだろうと電話をN君に代わると、
なんとペンギンが死んだということだ・・・。
N君の携帯が切れてたために、
自分の携帯に電話してきたようだ。
それにしても今回の山行は、
最後の最後まで事件がついて回った。
N君は電話しながらやれやれという雰囲気。
そりゃそうだろう・・・、
全く想像できない事態が、
最後の宴に着いた途端にもたらされたわけだから・・・。
驚きの中で最後の宴が終わり、
それぞれ帰路についた・・・。
短い日程の中でいろいろなことが、
凝縮して起きた登山だった。
今回のこの白峰三山縦走も長く記憶に残る登山となった。
これだけ長編になる登山記も珍しいと言えば珍しい・・・。 >終了<
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