《叛逆のろれつ“憲法記念日!?!”❖21-124❖》

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《時節感慨・・呟記・・❖2021/5/3❖》
今年も又、憂鬱な思いの中で憲法記念日を迎えてしまった。
毎年この日が来ると“憲法を哲理出来る碑文!?!”を思い出す。
北朝鮮による拉致問題。くだらない政争に明け暮れる国会議員の資質が問題だ。
外交問題などと言ってて良いのか???現行憲法が施行された後の出来事だ。
与野党関係なく、国民の総意で世界に訴えることが、マスメディアの役割だろう。
最重要外交課題、拉致被害者救出問題をなぜ真摯に追求しないのだろう?
北方領土問題にして然り、進展は?? 戦後、70年も経過しても未解決!?!
歴史的経緯を踏まえての国際関係、現在の国際情勢下での外交・安全保障問題。
それらの解決に向かう日本政府、交渉で支障をきたしているのが日本国憲法の内容。
「憲法改正」その前に必要な国民審判、憲法改正是非を問う国民投票。
その手続きが未だ決まっていない。国民を守る手法を野党・マスメディアは示せ。
伝統・歴史(日本独自の文化)を尊び世界と対峙できる基本法的憲法っていかなるものか?
安全保障問題は、国民の一人一人に帰ってくる問題、と思うのだが。。。!
今の平和状態は「憲法第9条」のおかげである等と、まじめに主張される方々がいる。
果たしてそうだろうか??大いに疑問を持つ。「拉致問題」を思うとため息しか出ない。
拉致に関与した者達、而して拉致した国を援助してる組織等々、不可思議なことだ。
国際社会にあって日本の立ち位置、国策・方向性等々、はっきり・真摯に表明すべきだ。
敗戦国として70年余り過ぎた。戦争・戦闘はあってほしくない。当然のことだ。
過去の教訓、戦争はしてはならない、軍国主義反対も納得行くことである。
現行「日本国憲法前文」って、読んだことある!?!下、日本国憲法 前文;
*      *      *
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、
われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、
わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、
政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、
ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、
その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。
われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、
人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、
圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、
名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、
平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、
自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、
政治道徳の法則は、普遍的なものであり、
この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、
他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、
全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
*      *      *
国民主権と代表民主制、平和的生存権、 国際協調主義、
日本国憲法の崇高な理想を謳っているが、
歴史、日本固有の伝統文化をも「前文」に表記すべき、と思って止まない。
敗戦によって出来た憲法である。そんな経緯をふまえて、独自性あるものに進化させる。
而して現代日本を取り巻く環境、現代人の生活文化等々、制定時とはかなり変化している。
「平和憲法」とは何か、を今こそ真摯に考える時期と思える。
古代から鎖国時代(江戸期)に至るまでに出来上がった日本的な「和の文化」。
全世界唯一の天皇制は、誇れるものである。
真摯に国民一人一人も考えるべき時が来ている。
大東亜戦争に敗れ、敗戦国として新たな出発をして70年余りをもった。
日本人的な敗戦前後の人間模様、激動期を実際に知るものも少なくなってきた。
文明開化の明治から大正・昭和・平成・令和と各時代をつぶさに思い将来を思考すべきだ。
鎌倉の中心!!象徴的な鶴岡八幡宮裏の高台にひっそりと石碑が立っている。
一般に公開されていないので知る人は少ないだろう。
鎌倉の地形は、明治期軍人、取分け陸軍歩兵の訓練に適した地形であった。
明治6年(1873)4月に明治天皇は鎌倉での第一回陸軍特別大演習を閲兵している。
天皇警護の近衛師団の演習であった。それを記す石碑が現存している(上画像)。
石碑を拝し辺りを見渡すと、かつて市域内の80%が緑であった鎌倉の自然環境を思える。
文明開化時代の天皇の行幸、そして自然環境。
こじつけではないが、天皇制や日本の国土、それらを考える時、ふと訪れたい場所。
今では立ち入れない場所だが、憲法を考える上での歴史と文化を想起させてくれる石碑。
天皇制の伝統、日本の歴史・文化に立脚した憲法を創りあげてほしいものだ。
「令和参年(皇紀2681年)5月3日、記」



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